「ここは地の果てアルジェリア・・・」
なんだか知らないけど急に思い出した。
昔よく聞いたフレーズだけど、「一体何だろう?」と思っ
てググってみたら、『カスバの女』という歌謡曲の一節だっ
た。しかし、なんだって「地の果て」で「アルジェリア」な
んだろう? 昔の作詞家やレコード会社のプロデューサーは
凄えな。よくこんなの通して、その挙句にヒットさせるよ
な。でも、それを通してしまう日本人の方が凄いのかもしれ
ないけど(最近でも、『マツケンサンバ』とか『にんじゃり
ばんばん』とかあるものね)。
で、なんで「ここは地の果てアルジェリア・・・」を思い
だしたかというと、「このブログなんか、ネット上の辺境だ
よなぁ」と思ったから。
「辺境」だか「僻地」だか「秘境」だか知らないけど。こ
こに来る人は、山で迷って、たまたま「ポツンと一軒家」
(©ABC)に出くわしたような感じだろうからね。それで、
出くわすのがこんな話だから、「ヤバイ所へ来てしまっ
た・・・」と思う可能性は高い。
「はじめまして。このブログは『アタマが悪い』というブ
ログです。人間の不幸の根源は、わたしたちのアタマが悪い
ことです」。一応、ごあいさつしておきましょう・・・。
「ここは地の果てアルジェリア・・・」
でも、そこが「地の果て」だろうが何だろうが、わたした
ちのアタマが悪くなければ、すさんだり、不幸になったりす
ることはないだろうな。
「ここは地の果て・・・」なんて思って暗くなるのは、ア
タマが勝手に何処か別の場所を世界の中心だと考えるからで
しょ?
「地の果て」というか、「世界の果て」は実際の場所では
なくて、わたしたちのエゴのことですよ。
自分を特別視し、自分を守ることを大前提に生きてたら、
世界との間に疎外感を感じて「ここは地の果て・・・」なん
て思うことになるでしょうよ。
このブログは「辺境」にあるけれど、それで私が暗くなっ
ているわけじゃない。
「ひとりぼっちでも、ここは極楽だも~ん!」なんて、勝
手に決めている。
むしろ、エゴを立てて、近付きながら距離を取ろうとして
いる世の中で生きてる人の方が、心理的には「地の果て」に
居るのでしょう。だってすぐに「寂しい・・」なんていうで
しょ? 私はもう長いこと、「寂しい」なんて思った事ない
ですから。
社会からの疎外感を感じる事はあっても(というか、ほと
んど部外者です)、世界からの疎外感は感じないからね。あ
りがたや、ありがたや。
さて、今、たまたまこのブログを読んでいるあなたは、こ
のブログを「地の果て」の変な所だと思いますか? それな
ら、早くここから出るべきですね。ここはあなたにとってロ
クな場所ではありません。
「辺境」も「桃源郷」も、「地獄」も「極楽」も、その人
の内面に在るのであって、その “場所” のことではありませ
ん。
今居る所が「地の果て・・・」のように感じるとしたら、
それはあなたが自分(エゴ)を守ろうとし過ぎてるからで
す。
逆に、今居る場所が「世界の中心」と感じているとした
ら、それはあなたが仮想現実にどっぷりハマっているからで
す。どんなにたくさんの人や物に囲まれているとしてもね。
わたしたちが居るのは、「地の果て」でも「世界の中心」
でもありません。
実は、“わたし” なんてものは居ません。
“わたし” というものは、人間の “病気の症状” とでも言う
べきものです。
こんなことを言ってる私の方が病気なのかも知れません
が、それは私には分からないことですし、それならそれでべ
つに構いません。だって、「深刻な “正常人” 」より、「楽
しそうな “精神異常者” 」の方がしあわせかもしれないじゃ
ないですか(それがいつまで続くかというのが大問題です
が・・・)。
生きて死ぬだけです。機嫌が良いのに越したことはない。
「ここは地の果てアルジェリア~~」
なんか、楽しくなって来た。
・・・・・なんてことを言ってるけど、強制収容所に入れ
られたユダヤ人たちや、シベリアに抑留された日本人や、今
北朝鮮で飢えに苦しんでる庶民や、紛争地で残虐行為に合っ
ている人、この日本で親に虐待されている子供たち、そうい
う人に対して、〈「地獄」も「極楽」も、その人の内面に在
るのであって、その “場所” のことではありません〉などと
言えるわけが無い。
「オマエは、余裕があるからそんなお気楽なことが言える
んだよ」と言われれば、「その通りです・・・」と頭を下げ
るしかない。ただ、懺悔・・・。
しかし、そのような “現実の地獄” を生み出すのは、わた
したち人間のアタマが「自分の “正しさ” を疑おうとはしな
い」からだということは、言いたい。
「正しさ」が、わたしたちの中にあるものを実体化させる
時・・。それは多くの場合、地獄か、それに近いものです。
もしも、その “現実の地獄” に囚われてしまったら・・。
わたしたちは、なんとか心の中を “地獄の外” に出すしか
ないでしょう。
アウシュビッツの生き残りであるヴィクトール・フランク
ルが言った「態度価値」というのは、そういう事なんだろう
と思う・・・。しかし、虐待される幼い子供には、そんなこ
とは望めないので本当に言葉も無い・・・。わずかばかり胸
を痛める事しか出来ない・・・。
それでもね、自分の中の「地獄」を生むのも、やっぱり自
分(エゴ)なんですよ・・・。理不尽に見えてもね。酷くて
もね・・・。やっぱりね・・・・。
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