2019年3月6日水曜日
“変” は普通だ!
夕食を食べながらテレビをザッピングしていると、『ため
してガッテン!』で「レビー小体型認知症」についてやって
いた。幻視などを伴う脳機能障害だそうで、患者で、自身の
体験談についての本も出版されている女性が、「この病気の
症状そのものより、周りに理解されない事の方が苦しい」と
話をされていたが、そりゃそうだろうね。幻視の症状を訴え
る人を、「脳機能に障碍が有りそうだな・・」と見てくれる
人はあまりいないだろうから。普通は「頭がおかしくなっ
た・・・」と思うだけだろうから。確かに、頭(脳)がおか
しくなってはいるんだけどね・・・。
「こんな病気になったら、そりゃ困るだろうな」と思いつ
つ、「けど、人の苦しみって、そのほとんどが “周りに理解
してもらえない” ってことだよなぁ」と呟いていた。
病気であれ、価値観の違いであれ、能力の違いであれ、好
みの違いであれ、宗教の違いであれ、周りの理解と配慮が得
られなくて、みんな苦しんでいるんだよね。
誰もが、「自分を理解して欲しい」と思い。「人を理解し
てやろう」というのは二の次、三の次どころか、考えもしな
い。みんな自分の事で手一杯。「わたしのことを分かって欲
しい・・・。分かって助けて欲しい・・・」というので精一
杯というのが、まぁ普通のようです。
いったい、誰が自分を理解してくれるでしょう? そんな
幸運、なかなかめぐり会えませんよ。
今も書いた通り、誰もが自分のことで手一杯ということも
あるけれど、人を理解するなんて、そう簡単なもんじゃな
い。「こんな感じみたいだな・・」ぐらい感じられれば、上
出来でしょう。
「理解を求める」「理解してあげる」なんて、ちょっと要
求レベルが高すぎるという気がするな。理解されなくても、
理解してあげられなくても、「誰にでもそれぞれの事情があ
るだろうから、“関係の緩衝地帯” をできるだけ広く取って
おこう」という態度でいいんじゃないだろうか。
「コイツ、変だ!」→「だから、ダメ!」じゃなくて。
「こいつ、変だ。」→「なんだろう?」というのが、人と
してのたしなみだと思うな。
「コイツ、変だ!」→「だから、ダメ!」という判断を下
す人の場合、その人は永久に、その時の自分の世界に閉じた
ままです。
一方「コイツ、変だ。」→「なんだろう?」という受けと
め方をする人の場合だと、その人の世界は拡がって行く。拡
がって拡がって、行き着くとこまで行くと「世界は変だ。そ
れで普通だ。」という悟りに達します。
今思いだしたけど、アニメの『うる星やつら』のテーマ曲
の一つに、こんな歌詞があった。
変と変を集めて もっと変にしましょ
“変” が変な宇宙は 大変だ・だ・だ!
わたしたちがしょっちゅう抱く「変だ!」という思いは、
誰もがしょっちゅう普通に「そう思う」というだけで不問に
処されていますが、ほんとうはかなり破壊的な反応ですよ。
自分に対しても、自分以外に対しても。
「変だ!」と思う自分の方が “変” かもしれないのに “変”
を否定していると、自分の足元が揺らいできてしまう。
「変だ!」の応酬が拡がって行けば、誰も彼も、自分の足
元が不安定になって、世界が不安定になる(なってるでし
ょ?)・・・。
《 “変” が変な宇宙は 大変だ!》
だから、みんな、生きてる事が大変なんですよ。
誰もが日常的に、自分の周りにたくさんの “変” を見てい
るのなら、“変” は「普通」でしょ?
《“変” が普通な宇宙は 安心だ・だ。だ!》
ということで今日は絞めましょう。
(まともな話だったでしょ?)
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