昨日は少し卑怯な事をした。卑怯と言っても、世の中には
人の風上にも置けない卑怯な事をして自分の利益を得ようと
する人間はいっぱいいるので、私のした卑怯な事など、卑怯
の内には入らないかもしれない。でも、何人かにちょっとし
た迷惑をかけるかもしれないし、不愉快にさせるかもしれな
い。でもやってしまったことは仕方がない。時間は戻せな
い。しばらくは自己嫌悪して過ごすしかない。アタマが悪
い。
卑怯には二種類あるようだ。自分が危うくなる恐れから行
う保身の為の怯えた卑怯と、自分の欲望を満たすための卑し
い卑怯と。だから「卑」と「怯」を合わせて「卑怯」と書
く。漢字はよく出来ている。
「自己嫌悪して過ごす」と書いたが、卑怯なまねをしても
自己嫌悪など全く感じない人間も沢山いるし、ニュースにな
るような酷い卑怯もよくある。けれど、普通「卑怯だ」と思
われていないけれども実は卑怯なことが、この社会の日常の
中にも沢山ある。
たとえば、さまざまな手段を講じて節税して、なるべく税
金を払わないようにして自分は損しないようにしようとする
のは卑怯と言えるのではないか?そういうことをせずに素直
に税金を納めている人は沢山いるからね。一方で、法律上絶
対に納めなければならない以上の額の税金を納めさせておい
て、知らん顔してる国税庁も卑怯ではないか? 節税という事
が可能なのは、放っておいたら必要以上に税金を納めること
になるってことだからね。けれど、こういうことは「卑怯」
という文脈では語られない。同じような事がいっぱいあるけ
どね。
保身の為の卑怯な行為は、社会的な部分での恐れから来る
わけだけど、そもそも個人を恐れさせる社会の決まりや慣
習・ムードとは何なのか? ちょっとした事で社会(に属する
人)から責められるという恐れを人に持たせている社会の在
り方は、卑怯ではないか? 恐怖感で人をコントロールしよう
としているのだからね。
「うがった考えだ」?
まぁそうかもしれない。でも、こういう見方も有りだと思
う。
社会が恐れさせなければ、保身の為の卑怯は生まれないだ
ろう。でも、放っておいたらわがまま放題をする人間がい
る。だから恐れは必要だと思われるかもしれないが、その為
に法律がある。個人が恐れるのは法律だけでほぼ充分だ。そ
れ以外で個人を怯えさせるものは、結局のところ「自分に都
合の悪いことは許さない」という人間同士の監視と駆け引き
だろう。器の小さい、許容力のない、せこくて、卑怯な人間
がひしめいているので、卑怯が卑怯を生み、息の詰まる社会
になる。だから「生き(息)辛い」ということになる。
許さない社会が、許さない人間を生み、許さない人間が増
えることで、許さない社会がさらに強固になってゆく・・。
そして人は卑怯になり、自分を嫌いになってゆく・・・。
ああ、嫌だ。
前にも書いたけど、(『「許さない」か・・。』2019/7)
「許さない」という言葉は無い方が良い。「許さない」とい
う感情も無い方が良い。「許さない」ことが、社会を醜悪な
ものにする。(強欲な人間が社会を引っ掻き回すことはひと
まず置いておいてね)
と、持って回ったやり方で、私は自分に言い訳をしている
ようだ。ハハハ、卑怯だね。許して。
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