2020年10月27日火曜日

悲しみにシンクロする



 「アタマの良いところについて考えてみよう」などと、前

回の最後に思ったのだけど、 大阪で “飛び降り自殺” した

の子の巻き添えになって、女の子が死んでしまったというニ

ュースなどを聞くと、やはり「アタマは悪い」ということで

しかないか・・・。という気分になる。


 これまでにも書いてきたが、私は ”自殺” は肯定しない。

が、"自殺する人” は肯定する。けれど、自殺するにしても、

そのやり方と場所ぐらいは考えないと・・・。

 自殺する人は、他者から必要量の思いやりを得られない状

況に嵌まり込み、行き場を失ってしまって自ら命を絶つもの

だ。それなのに自殺するその人自身が、自分の人生に対する

思いやりを欠いてはいけないだろう。自分の人生が肯定でき

ないものになってしまったからといって、無神経に他の人を

害するような終わらせ方はいただけない。

 この男の子は、たぶん「殺人」か「過失致死」で、被疑者

死亡のまま書類送検されることになるだろう。彼は「自殺

者」ではなく「殺人者」になってしまった。そんな風に自分

で自分の死を汚してはいけなかったんだ。

 たとえ自殺しても、それがこの男の子の命を貶めることだ

とは私は考えないけど、このやり方はいけない。彼は自分を

冒涜する形で人生を終わらせることになったと、私は思って

しまう。まぁ、そうならざるを得なかったわけだけど・・。


 アタマが悪い。

 こんな死に方をしてしまう彼のアタマは悪い。

 こんな死に方へと追い込む、彼を取り巻く世の中のアタマ

も悪い。

 自殺や殺人を可能にする、人間という生物のアタマが悪

い。

 その悪いアタマの働きの中で、良いことは有るのか?それ

を改めて考えてみたが、有るとすれば、それは「共感」だろ

う。


 ニュースを見ていると、事件の現場に花を供えに来る人が

結構いる。

 全然関係のない人たちが、事件を知って花を供えに来る

(巻き添えになった女の子に対してだろうけど・・・)。な

ぜだか知らないけど、他人事ではない気持ちになって花を供

えに来る。

 なぜだか、突然人生を終わらせられてしまった女の子の身

になって、花を供える。

 突然我が子を失った親御さんや家族の身になってしまっ

て、なぜだか花を供えずにおれなくなる。なぜだか、その身

になってしまう。


 「共感」というのは、アタマの働きではないだろう。思考

ではなく情緒の働きだけど、それを引き出す足掛かりとなる

のは、思考だ。アタマの働きだ。


 ただ「共感」といっても色々ある。醜悪で愚劣な「共感」

もある。テログループを生みだすような、観念的でむき出し

エゴを増殖させてゆく「共感」のように。

 一方、喜びをふくらませるような「共感」も有るし、穏や

かさを広げるように働く「共感」も有る。でも、そういった

「共感」の中で、もっとも深く強く人をつなげるのは、悲し

みを分け持つ「共感」であり、他者の苦しみにシンクロして

しまう「共感」だろう。


 悲しみ、苦しみに共感すること。それは「慈悲」だ。

 仏は人の悲しみ苦しみを我がこととするがゆえに、人を救

おうとする。すべての人が悲しみ苦しんでいるので、すべて

の人を救おうとする。その想い・在り方が「慈悲」だ。

 他者の悲しみ苦しみに「共感」することは、人の心を「慈

悲」に満ちたものへといざなう。「思考」は、その「共感」

への道を拓く可能性を持っている。アタマを上手く誘導する

ことができれば、人は仏に近づく。仏であることに目覚める

ことができる。「慈悲」を持つ時、人は仏になっている。


 今回の事件で、巻き添えとなった女の子やそのご家族を気

の毒に思い、自分も悲しくなってしまう人は多いだろう。一

方で、巻き添えにした男の子に同情する人はほとんどいない

だろう。「死ぬのなら一人で死ね!」といった言葉を吐く人

も少なからずいるだろう。私も、この男の子に対しては、正

直、批判的になってしまう。人の情として、それは普通だろ

う。けれど、理想を言えば、そこも越えるべきなのだろう。


 どんなに自分が苦しいとはいえ、この男の子の、他の人の

ことをおもんばからない行動は、批判されても仕方がない。

けれども、他の人のことをおもんばからない人たちに取り巻

かれた結果が、この男の子の、他の人のことをおもんばから

ない行動を生んだ可能性は高いだろう。

 「他の人のことをおもんばからない」

 それは「共感」の欠如に他ならない。


 できることならば、どんなに非常識でアタマがおかしいと

思われても、この男の子の悲しみ苦しみも分け持つべきなの

だろう。仏なら、そうするだろうから。


 わたしたちのアタマは悪い。

 人はみな苦しい。

 人はみな悲しい。

 その苦しみ悲しみを覆い隠し、ごまかそうとすることが、

社会に混迷を生みだし、人を更なる苦しみ悲しみの中へと迷

いこませる。


 人と人が、お互いの苦しみ悲しみを分け持ち、共に泣くこ

とは、人を同じ地平に立たせる。そこで人は初めて平等にな

るのだろう。そして、人はそこで悲しみの底ににある、本当

の安らぎを垣間見ることだろう。


 そんなふうに思ってはみても、私の気持ちは、巻き添えに

なった女の子の方に寄ってゆく。いまはそれでいい。そうだ

からそうなのだ。それでいい。しばらくの間、心を痛めるの

みなのだ・・・。




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