2024年6月16日日曜日

考えないこと



 この前、“仏像は見る人に「余計な事考えてない?」と語り

かけている” ということを書いた。でも、本当は「考えるこ

と」そのものが余計。

 考えることは余計な事です。人間以外の動物は、ほぼみん

な何も考えずに生きているわけですから、人間が異常なわけ

です。余計なことをしている。けれども、人間の本能は不完

全なので、他の生き物のように本能に従うだけでは生きられ

ない。それを補う為には考えざるを得ない。それはもう人間

の業としか言いようがなくてしようがないのですが、その代

償は大きい。もっと「考えること」に対する評価を下げ、

「考えること」の悪影響を認識する方が良い。「いらないこ

とを沢山しているんだ」と。その方が生きていることは楽に

なる。ムダなエネルギーを使わなくて済むし、することが減

れば、問題を作り出すことも減る。とはいうものの、刺激も

少なくなるので誰もが嫌がるだろう。エゴは刺激がなければ

自分を確認できなくて怯えるから。


 なので、「考えること」の悪影響を減らすためには、エゴ

をなだめて安心させてやる必要がある。


 「心配しないでいいよ。そもそもおまえ(エゴ)はイメー

ジだけの存在なんだから滅びることはない。そもそも実在し

ていないんだからね。怖くない、怖くない」(ナウシカがテ

トをなだめるように😊)


 そんな風にエゴを諭してやらなければいけない。そうする

ことで、「考えないこと」の平穏さが感じられるようになっ

てくる。良く生きるための、最小限で必要十分なことを考え

るセンスが表に出てくる。

 それでもアタマが余計なことを考え続けることは止められ

はしないけれど、それが生きることの本質とは関係がないこ

とを、もう意識は理解しているので、大きな不安や苦悩に巻

き込まれることはない。「ああ、またやってるな」と、平穏

な場所から見ていられる。


 そのような意識の持ち方について、

 「人生というのは、スクリーンに映し出された映画のよう

なもので、自分は客席でそれを眺めているだけなんだ。映画

の中に入り込んでしまって、それを “リアル” だと感じてしま

うから、苦しみが生まれる」

 という表現をする人がいる。それはほぼ正解だと私は思う

けれど、もう一歩進んでみよう。わたしたちの意識は、映画

が映し出されている “スクリーン” なのだと。


 白紙のスクリーン。

 その上で戦争が起ころうと、愛する人との別れがあろう

と、億万長者になろうと、多くの人から賞賛を浴びようと、

貧困に喘ごうと、死を迎えようとも、スクリーン自体は何の

影響も受けないように、わたしたちの人生は、白紙の意識の

上で展開する “お話し” です。


 白紙。それは虚しいと思われるかもしれないけれど、これ

ほど広々として平穏なものはない。ましてや、意識のスクリ

ーンには「ここまで」という限りがないので、そこには完全

な自由というものがある。





 

0 件のコメント:

コメントを投稿