2024年6月2日日曜日

「徳」とはどういうものか?



 宗教やスピリチュアルの話で、「徳を積む」という言葉が

よく出てくる。なんとなく言ってることは分かるけれど、あ

らためて考えると「徳」というのはよく分からない言葉で

す。

 「良い考え」「良い行い」と捉えておけば良いのでしょう

が、何が「良い」のかということについては、自分の価値

観・気分で判断するか、あるいは世の中の基準に依るしかな

い。果たしてそれが「徳」なのかどうかは怪しいところで

す。

 怪しいのですが、怪しいことは不問のまま人は徳を積もう

などと考え、それなりの行動をとります。「徳を積むと得を

する」と思っているのでしょう。しかし「得をしたい」とい

う「欲」からの行いが、果たして「徳」と言えるものなので

しょうか? さらに、「徳」というものは積めるものなのでし

ょうか? 私は「徳」は積むことはできないと思っているので

すが・・・。


 航空会社のマイルを貯めて地上の楽園に行くことはできる

でしょうが、「徳」を貯めて極楽に行ったりはできません。

「徳」は積むことができません。貯めることはできません。

私は「徳」というものは、「そのとき」「それっきり」のも

のだと思います。その時々で完結するものだと思います。


 以前書いたようにも思うのですが、山岡鉄舟の逸話にこう

いうものがあります。


 ある時、弟子が鉄舟にこんな話をした。

 「先生、“バチがあたる” なんて言いますが、あれは嘘です

  ね。わたしはこの前、神社の鳥居に小便をしましたが、

  何も起きませんよ(笑)」

 それを聞いた鉄舟は

 「この大バカ者!鳥居に小便をした時点で、お前は “鳥居

  に小便をする人間” になっておるのだ!」

 と𠮟りつけた。


 人を殴れば、その時 “人を殴る人間” になっている。

 人の悪口を言えば、その時 “人の悪口を言う人間” になって

いる。

 人に優しくすれば、その時 “人に優しくする人間” になって

いる。


 行いの報いは、行いと同時に在る。それは恐ろしいことで

あると同時に、とてもありがたいことでもある。いま良い事

をすれば、いま良い人であることができる。いまその場で救

われる。積んだり貯めたりする必要はない。そもそも、それ

はできない。


 幸福も不幸も、未来にあるのではない。

 救いも苦悩も、未来にあるのではない。

 極楽も地獄も、未来に赴くのではない。

 それらはすべて、いま、自分から生まれる。


 はっきりと「これが “徳” です」ということはできないけれ

ど、いま、自分を心から救うことなら、それは「徳」なのだ

ろう。

 そして、「徳」は積めない性質のものだけれど、いまここ

で「徳」を現わせば、その「徳」は、次の「徳」が現れる触

媒となる。自分の周りに「徳」が伝わる機会となる。「徳」

は積むことができない。けれど「徳」は繋がる。将来に、周

りに。


 どうすれば「徳」が現れるか?

 「得」をしようとしないことだろう。




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