2026年9月28日月曜日

静穏に

 
 
 宇多田ヒカルの『 Wait & See 〜リスク〜』の歌詞
 
に 

 
  変えられないものを受け入れる力

 
  そして受け入れられないものを

 
  変える力をちょうだいよ

 

 

というフレーズがあって、昔から「良い詞だな」と思

 

っていた。ところが、先日アメリカ人の男性がほぼ同

 

じことを言っているのを聞いて、「もしかして聖書に

 

でもある言葉なのかな?」と思って調べてみると、す

 

ぐに元の言葉が見つかった。

 

 神よ、変えることのできないものを
 
 静穏に受け入れる力を与えてください。
 
 変えるべきものを変える勇気を、
 
 そして、変えられないものと変えるべきものを
 
 区別する賢さを与えてください。

 
 
 ラインホルド・ニーバーというアメリカの神学者の
 
言葉で、『ニーバーの祈り』と呼ばれて広く知られて
 
いて、宇多田ヒカルはこれを引用したようだ。
 
 良い言葉だと思う。キリスト教徒であればなおのこ
 
とだろう。特に「区別する賢さ」をまず求めるのでは
 
なかろうか。彼らには最後の審判が待っているから、
 
区別することはとても重要だろう。
 
 
 けれども実際のキリスト教世界は、ニーバーの祈り
 
も叶わず、区別することに厳密過ぎて断絶・分断を生
 
み、逆にそれを正そうとして、一方で区別することを
 
排除し過ぎて混乱を生んでいるようにも見える。「静
 
穏に受け入れる力」をもっと大事にすればいいのに
 
と、日本人の私は思う。
 
 
 こんな評論は大きなお世話だろう。日本にキリスト
 
教徒は1%ぐらいしかいないし、日本のキリスト教は
 
神道と仏教の影響を受けてしまっていて、ご本家のキ
 
リスト教世界とはかなり違う。余計なことを言うと
 
「黙ってろ」と言われそうだ。けれども、キリスト教
 
世界の混乱・断絶は日本にも影響を与える。静穏にし
 
てもらわないと迷惑する。
 
 
 日本人は「静穏に受け入れる」ことが結構得意だ。
 
大きな災害に遭っても、静かにこらえてる。
 
 伊勢神宮に参る時も、願い事は禁じられ、ただ頭を
 
下げる。「南無阿弥陀仏」と唱えて、すべてを阿弥陀
 
仏にまかせてしまう。そういう感覚が自然と染み付い
 
ているのだろう。
 
 とはいえ、これが個人の日常になってくると、なか
 
なか静穏でもない。大きな出来事を前にすれば「仕方
 
がない」とあきらめも付けやすいけれど、個人レベル
 
の小さな出来事になると変えようとする思いが前に出
 
てきやすい。「許せない」「我慢ならん」と戦闘モー
 
ドに入る。
 
 
 小さな事だからこそ「変えよう」と思うのだけれど
 
も、「小さな事なら変えなくても良い」という対応も
 
有りだ。むしろ、小さな事のために戦闘モードに入る
 
のはコスパが悪いのではないのか?
 
 「この程度のことでエネルギーを使うのはもったい
 
ないな」と静穏にしている方が賢いだろう。 
 
 
 もう一度『ニーバーの祈り』を見て見よう。
 
 
 神よ、変えることのできないものを
 
 静穏に受け入れる力を与えてください。
 
 変えるべきものを変える勇気を、
 
 そして、変えられないものと変えるべきものを
 
 区別する賢さを与えてください。
 
 
 やはり「静穏に受け入れる力」と「区別する賢さ」
 
がこの言葉のキモだろう。そこがちゃんとしてれば、
 
「変える勇気」はおのずと現れてきそうだ。
 
 
 まず「静穏に受け入れる」。静穏でなければ賢さは
 
期待できないだろうから。
 
 
 ニーバーがどのような人なのかは知らないけれど、
 
マイスター・エックハルトのように、結構仏教に近い
 
考えの持ち主だったのかもしれない・・・などと思
 
う。 
 
 
 
 
 

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