政治家や官僚の不正疑惑とか、芸能人の不倫疑惑だとか、
毎日の様にマスコミが騒ぎ立てる。
わたしたちも日常的に、友人・知人が「自分の事を嫌って
いるんじゃないか」とか、「子供が知らないところで悪さを
しているんじゃないか」とか考える。
ヒマを持て余すと、「アメリカ政府は、地球に宇宙人が居
る事を隠している」やら「世界はフリーメイソンによって、
支配されている」やら、言い出す。
人間は、何故、こんなに疑うことが好きなんだろう?
まあ、無理もない部分もある。
世の中は、“嘘” と “隠し事” に満ち満ちていますからね。
人を信じて、何度となく酷い目に合いながら育つのですか
ら、疑う事が習い性になって不思議じゃない。
とはいうものの、ちょっと度が過ぎちゃいませんか?
状況によっては、疑う事にメリットがある場合もあるでし
ょうが、今の世の中を見ていると、疑う事によって個人にも
社会にもデメリットをもたらしている事の方が多い様に感じ
る。「疑う事の恐ろしさ」というものを、もう少し意識して
おかなければいけないんじゃない?
「疑い」というものは、とても恐ろしい。
「疑い」は地獄を生み出す。
《 地獄のほとんどは、「疑い」によって出来ている 》
と言っても間違ってはいないでしょう。
何が、それほど恐ろしいか?
その一つに、疑う方も疑われる方も「一度芽生えた “疑
い” を、完全に消し去ることは、不可能に近い」ということ
があります。特に、人間関係の中での「疑い」は、まず消す
ことは出来ないばかりか、何十年でもくすぶり続け、下手を
すれば、さらに大きくなってしまいます。
最近、「チカンの冤罪」を怖れる男性が増えている様です
が、あれなんかも、満員電車の中で「チカン」の疑いを掛け
られた時、その疑いを晴らすことの困難さを考えると身の毛
がよだつからでしょう。
もう一つは、「疑い」の中から、不安・怒り・嫉妬といっ
た、ネガティブな感情が次々と生まれて来ることです。
「疑い」から、喜びや安らぎが生まれる可能性はゼロで
す。疑った瞬間に、人は不幸へ真っ逆さまに落ちてゆく。
とはいうものの、何ひとつ「疑い」を持たない人が生き延
びて行くことは、たぶん不可能でしょう。先にも書きました
が、世の中は “嘘” と “隠し事” に満ちています。何も疑わ
ない人がスンナリ生きて行ける程、世の中は “品行方正” に
は出来ていない。「疑わなければ地獄に落とされる」かも知
れない。
「疑えば地獄に落ちる」
「疑わなければ地獄に落とされる」
「じゃぁ、どうしろと言うんだ」
「信じなければいい」と思います。
「おい。ふざけてんのか」
という文句が飛んで来そうですが、こんな風に書くのは仔
細あってのことです。
どんな仔細があるのかというと、“疑う”=”信じない” で
は無いと考えているからです。
“信じない” は、”疑う” と “信じる” の間にある、ニュー
トラルなものだと思っているのです。
人が「疑う」時、その人は自分を信じています。
“自分” を、“自分の考え” を、「正しい」と思えばこそ人
を「疑う」事が出来ます。人を「疑う」より前に、自分を
「信じる」「正しい者とする」からこそ、「疑い」を持てま
す。
その自信は何処からくるのでしょう?
なに故、自分に自信が持てるのでしょう?
別に、自分に自信があるから人を疑うのでは有りません
ね。むしろ自分に自信が無いからこそ、人を疑います。
人を疑う事で、「自分はその逆の立場の人間だ」と思える
し、自分が “自分の信じたい側の人間” だと、自分自身と
周囲に示すことが出来る。人を「疑う」事は、自分を正当化
する為の詐術、あるいは幼稚な自己保身でしかありません。
《 勘ぐりは下衆 》とは以前書きました。
「疑う」事は、人を不幸にします。でも、人として様々な
危険から身を守る為には「疑う」事も必要です。
ということで、「信じない」様にしましょうというわけで
すが、「他人を信じない」という事ではありません。「他人
も自分も信じない」様にするのです。
人は皆出来損ないです。嘘つきです。隙あらば欲望に負け
ます(隙だらけです)。自分が大事です。ろくなもんじゃあ
りません。他人を信じられないのに、なぜ自分は信じること
が出来るんですか?
そもそも自分が疑わしいのに、それを棚に上げて他人を疑
う資格があるのでしょうか?
「お互いに出来損ないだよね」
そういう腹の括り方をしていれば、「人を疑う」なんて面
倒臭くてやってられません。結果、不安・怒り・嫉妬といっ
たイヤな思いから距離を置くことが出来ます。さらに、「信
じない」ことが物を考える基本であれば、考えなしに動いて
騙されたり、ケガをしたりする事が減ります。何よりも、人
が可愛く見えてきます。(自分も含めて)人を許せるように
なります
そして、人とその世の中が気楽に見られるようになりま
す。
人は出来損ないですから、人がやってる “世の中” も出来
損ないで当たり前です。ちょっとやそっと馬鹿な事があった
ところで驚くに足りません。(かなりバカな事でも、苦笑い
して溜め息ついて「やれやれ」と・・・)
「じゃぁ、『何も信じるな』と?」
いいえ。信じたい時は信じていいです。
ただし自分の為にではなく、「思いやりの意味」で・・。
(疲れたので、続きはこの次に)
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