今日もまた、強烈な陽射しでウンザリする暑さなんです
が、少し秋っぽさが見え隠れする様になっては来ました。
「このまま温暖化が進むとたいへんですねぇ」などと、テ
レビなんかは脅かしますが、ほんとに温暖化するのかなぁ。
地球って、本当に温暖化しているのでしょうか?
そして、それは人間活動によるものなのでしょうか?
この夏も一時間当たり100mm前後の雨が、あちこちで降
りました。この傾向は、確かに今までには無かった様です。
「記録的短時間大雨情報」が、毎日の様にどこかで出され、
「その地域じゃ初めてかも知れないけど、“記録的” が毎日
はおかしいでしょ」などと突っ込んでいました。名前を変え
た方がいいんじゃないの。
それはともかく、あんな雨はちょっと酷いですね。
それと何年か前に、紀伊半島のすぐ南で台風が発生したこ
とがあって、あれには驚きました。「えーっ!」て天気予報
を観てて声が出ちゃいましたからね。ほんと、異例の出来事
でした。
これらの出来事が、温暖化の影響だと言い切って良いのか
どうか分かりませんが、今までに(近代的な気象観測がはじ
まってから)無かった事なのは確かな様です。気温の上昇も
さることながら、海水温が上がっていることが大きく影響し
ているのでしょうね。
歴史を地形から考える著書を出しておられる、竹村公太郎
氏は『日本史の謎は「地形」で解ける(環境・民族篇)』
PHP文庫 のなかで、海水温の上昇に対する “原子力・火力
発電所から出る冷却水の排熱” の影響を挙げています。竹村
氏の計算によると、「原子力・火力合わせて、全世界で年間
約12億キロリットルの石油を燃やして、海を温めている」
事になっているそうです。「12億キロリットルで発電し
て」ではなくて、「それだけのエネルギーが排熱となって、
海を温める事だけに廻っている」という意味です。(詳しい
ことは、本を読んで下さいね)。これでは気象に影響が出て
も不思議ではなさそうです。
それとは別に「CO2削減」が、政治的な欺瞞や経済の駆け
引きの道具でしかないというのも見えてきますね。
発電所の排熱の事を、専門家や政治家が知らないはずが無
い。もし本当に知らないのであれば「能無し」という事にな
りますしね。「地球温暖化防止の為に原発を!」なんて、ま
やかしですよ。
だからといって、私は地球温暖化の対策をどうのこうのと
言う気は無いんです。それが、本当に人間活動によるものな
らば、もう止められないと思ってますから。
誰も指摘しないのが不思議なんですが、「このままCO2を
排出し続ければ、100年後には気温が5℃上昇してしまう」
ということで、排出量を世界で25%減らしたとしても、
「温暖化が止まる」なんて誰も言ってないでしょ?25%減
らしたところで、100年後に起こることが130年後ぐらいに
ずれるだけなんじゃない? 世の中がどうなろうが、人間は
原子力も化石燃料も、使えなくなるまで使い続けるに決まっ
てますよ。
経済のもたらす快楽と不安には抵抗出来そうにない。それ
に、人口があまりにも増えすぎてしまって、ブレーキが効き
ません。
今の人口で化石燃料・原子力の使用量を極端に減らせば、
世界中の人間が自分の暮らしを守ろうとして、(燃料・材料
として)森林に手を出す事になる。その結果、またたくまに
森林は消滅して、地球温暖化より悲惨な事になるでしょう。
今さらどうにもならないと思いますよ。
「資源」と「それを活用するテクノロジー」は、人類を繁
栄させた一方で、わたしたちをのっぴきならない所へ追い込
んでいる。
食料生産量の低下による世界的な飢餓。
資源の取り合いによる紛争の多発。
「人口崩壊」ということが、いずれは起こると思います。
100億あまりに膨れ上がった人口が、急激に減少する・・。
10年ほどで数十億人が死ぬのではないかと思っています。
(私の勝手なイメージですよ・・)
そんな恐ろしい悲劇を避ける為には、今の内から人々が
“自然な死” をなるべく受け入れる様にしていくしかないと
思うんです。あんまり無理に死を回避しない。みんな適当に
死んでもらう(私もね)。死生観を見直す・・。
嫌な話ですが、人類が健全に生きて行く為には、適当に人
が死ななければならないんです。
昭和初期の日本人の平均寿命は50歳ぐらいでしょう。
それで、みんな不幸だったかというと、そんな訳がない。
みんな、それなりに人生を楽しんだりしたことでしょう。
家族や友人が、50歳で死んでも「仕方が無いな」と諦め
をつけたでしょう。それが普通でしたから。
そこそこに生きて、そこそこで死ぬ。
その中に、ちゃんと幸福を感じて生きる。
そんな生き方が、人間に求められているんじゃないでしょ
うか。
もちろん、自然に長生きする人は長生きしてくれたらい
い。無理に死ぬ必要は無い。
「死をどう捉えて、どう受け止めるか」ということと、
「幸福に生きるとはどういうことか」ということを、改め
て見つめ直さないことには、悲劇
しょう
思いますが、そんな価値観の転換が、世界規模で起こると
も思えません。・・・・。ナムアミダブツ・・・。と言って
おきましょう。
今の日本や他の先進国を見渡して、一人の人間が幸福に生
きるだけの事に、これほど多くのエネルギーを必要としない
のは明らかです。生物学者の本川達雄先生によれば、日本人
は生物として生きるのに必要なエネルギーの、40倍のエネ
ルギーを消費しているそうです。アメリカ人だとさらにその
倍ぐらいでしょう。そこまでやって、みんながニコニコ穏や
かに楽しく暮らしているかというと・・・・。
やっぱり、《 省エネよりも、省エゴ 》ですね。
「自分」を知って、「欲望」に使われない様になるしかな
い。その方が幸福だろうとも思う。
「幸福とは何か?」
それが本当に判らない限り、判ろうとしない限り、人類は
不幸なままに滅んで行くのでしょう。(それがいつかは知り
ませんが・・・)
こんな話をして、人を怖がらせるのは感心したことではな
いけれど、「世界の不幸」も「個人の不幸」も、その根っこ
は同じで、ひとりひとりが真に幸福になれば「世界の不幸」
も消えてゆくだろうから、「世界の幸福」なんてものが幻想
に過ぎないとしても、まず「自分」が幸福になっちゃうのが
いいのだと思うんですよ。
(怖い話と言っても、“科学的な根拠のあるもっと
絶望的な話” は、他にいくつもありますからね。
「覚悟」というものは、人間の義務でしょうね。)
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