「死にたい・・・・・・」
9月1日。
二学期の始まりには、子供の自殺が増えるそうだ。
今年も、死んじゃう子がいるのだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
『自分でしあわせを探さなければならない子供たちの為
に』というタイトルで前にブログを書いたけれど、
「もう、どこで息をすればいいのか分からない」
「自分が呼吸できる場所はどこにも無い」
そんな風に思ってる子供たちが、今この瞬間にもたくさん
いるのだろう。
その子達にとって、確かにまわりの状況は最悪だろう。
「そんなこと、あんたにわかるのか?」って?
わかる。
「もう、息ができない」「死んだ方がまし」なんだから、
その子にとっては「最悪」に決まってる。
何が「最悪」かは、みんな違うから。
何が「最悪」かは、自分が決める事だから、自分が感じる
事だから。
他人がどう思おうと関係ない。
他人から見て、ぜんぜん「最悪」じゃなくてもそんなの関
係ない。
自分が「最悪」なんだから、「最悪」なんだ。
誰にも分かるはずがない。
誰も分かってくれない。
分かってくれなくても、もういい・・・。
ぼくの(あたしの)「最悪」が、どれほど「最悪」かなん
て・・・。
キミの「最悪」がどんな「最悪」で、どれほどの「最悪」
なのか、ボクにも分からない。
想像してみることぐらいは出来るかもしれないけど、顔も
名前も知らない “キミの「最悪」” の事は、“よくあるパタ
ーン”ぐらいでしか想像できないし。
でも、キミのまわりの状況が「最悪」なことだけは、ホン
トに分かる。ボクも「最悪」をたくさん経験してきたから
「最悪」がどんな感じのもので、どんな時にアタマの上から
おおいかぶさって来るのかは知っている。
「最悪」だね。
キミが「最悪」なのは、まわりがキミを「最悪」な状況で
取り囲んだからだ。
キミが悪いんじゃない。
まわりが悪いんだ。
まわりはキミのことなんか知ったこっちゃない。
キミの気持ちなんかどうでもいい。
自分のために、キミを利用しているだけだ。
だって、まわりはみんな自分のことで精一杯だから。
自分のことで必死なんだ。
ほかの人間の気持ちとか事情なんて、考えてる余裕なんて
無いし、自分自身の事さえ何だか分からないんだから。
他人が「最悪」で「地獄」だとしても、そんなこと考えて
る余裕は無いし、パワーも無い。
キミが「最悪」だとしても、まわりはキミを「最悪」にし
てやろうと思ってやってるんじゃない。
自分の事で精一杯なだけだ。
キミを「最悪にしてやろう」と思ってやっていたとして
も、それはソイツが自分自身の「最悪」に耐え切れなくて、
苦しまぎれに、キミに八つ当たりしてるんだ。
他人に「最悪」を押しつける、「最悪な奴」って世の中に
けっこうたくさんいる。
耐え切れないような「最悪な事」も、世の中ではけっこう
たくさん起きる。
だから知って欲しいんだ、「最悪」も「最悪な奴」も「最
悪な事」も、「けっこう普通」なんだ。
「けっこう普通」だから、どこにでも、いつでも、だれに
でも、それぞれに「最悪」はやって来てしまう。
それは、「最悪」だけど「けっこう普通」だから、「最
悪」って思った時、「けっこう普通」って思い変えることも
できるってことなんだ。
「何が最悪かは、自分が決めることだから」って、さっき
書いたけれど、実は「けっこう普通」のことに、「最悪」っ
てラベルを貼って、「最悪」って決められるのは自分だけな
んだ。
「最悪」の原因を作るのはまわりだけど、「最悪」って決
定するのは自分なんだ。
だから、決定をやめたら、「最悪」は「最悪」じゃなくな
っちゃうんだ。「最悪」な感じがしていてもね。
生きていたら、「嫌な事」も「嫌な奴」も死ぬまで消えて
無くなんない。
そして「嫌な事」って、“「嫌な奴」がする事” がほとん
どだから、ほんとは「嫌な奴」がいるだけなんだ。
「嫌な奴」って、「バカ」だと思うだろ?
「バカ」なんだよ。
自分で自分をしあわせに出来ないから、他人を利用するん
だ。
自分で自分をしあわせにする知恵が無いから、他人を利用
したり他人に八つ当たりしたりするんだ。知恵が無いってこ
とだから、「バカ」だろ?
まわりが「嫌な奴」ばっかりってことは、「まわりはみん
なバカ」ってことになる。
ほんとに嫌になるけど、「みんなバカ」なんだよ。
それで、ほんとはキミも「バカ」なんだよ。
だって「最悪」って思ってるだろ?
「地獄」って思ってるだろ?
「しあわせ」じゃないだろ?
自分で自分をしあわせにできないんだから、キミも「バ
カ」なんだ。
さっきも書いた様に「嫌な奴」や「嫌な奴のする事」に、
「最悪」のラベルを貼るのは、キミなんだ。
実は、キミもまわりといっしょなんだ。「バカ」のままで
いる限りはね。
だから、キミには「バカ」じゃなくなって欲しいんだ。
(このブログを、見つけてくれたからね。「ご縁」って言
うんだけれどね)
それには、「嫌な奴」と「嫌な奴のする事」に貼りつけた
「最悪」のラベルを、「けっこう普通」に変えるだけでいい
んだ。
それが難しいんだったら、「けっこう普通かもしんな
い・・」ぐらいでもいい。
そう思えたら、「最悪」も「地獄」も、ちょっとは離れて
ゆく。
その離れた分のすきまには、少しかも知れないけど「しあ
わせ」とか「ほっとした気分」なんかが湧いてくるよ。
必ず。
そして、ものすごく少しかも知れないけど「しあわせ」み
たいなものを感じられたら、それはキミに “しあわせになる
力” 、〈知恵〉が戻ってきたってことだ。
その時には、キミはもう、まわりの「バカ」とはちがう。
ひとつ、まわりより賢くなったってことだ。
少し、まわりより「しあわせ」になったってことだ。
「けっこう普通かもしんない」
そう考えて、「最悪」な奴らから、ちょっと目をそらして
他のことに目を向けてみたら
ど
てるよ。
それはたいてい「普通」の事だけど、「普通」って、あら
ためて考えると「けっこう凄い」だったりもするからね。
だから、ちょっと、まわりを見て欲しいんだ。
そしたら、「きれいだな」とか「変わってるな」とか思え
る物が見つかって、少しゆっくりした息をつけると思う。
「ふ~~っ」て。
とにかく、まわりじゅうの「バカ」より、ひとつ上に行っ
ちゃおうよ。
自分だけは、「しあわせ」になっちゃおうよ。
「最悪」っていうのは、もしかしたら “賢くなって、「し
あわせ」になる〈知恵〉を身に付けるチャンス” かもしれな
いと思うんだ。
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