2017年9月15日金曜日
いつまで遊んでるの!
儲かる仕事って何だと思いますか?
実は、儲かる仕事って “遊び” なんですよ。
「“遊び” が儲かる」というより、“遊び” でしか儲けられ
ないんです。儲かる仕事って、“遊び” だけなんです。その
上に、儲ける事自体が “遊び” になってる事がほとんどで
す。
ここで言う “遊び” は「余分」という意味ですね。“グリ
コのおまけ” の “おまけ” の部分です。
言い方を変えれば「付加価値」になります。
「無くてもいいものだけど、あったら楽しいかなぁ」
といった感じのものです。
ノーブランドのお米とコシヒカリでは、コシヒカリが圧倒
的に高いですよね。確かにコシヒカリは美味しいんでしょう
が、ノーブランドのお米もまずいわけじゃない。普通に美味
しい。けれど、その少しの味の差が儲けになるのですね。
この「差」の事を、私は “遊び” と言っているんです。
米の味の差を楽しんでいるのですから、それは「娯楽」で
すよね。「娯楽」、つまり “遊び” なんです。
そうやって世の中を見渡すと、「金儲けはすべて “遊び”
の部分で行われているのだな」ということが分かります。
スポーツはわたしたちの暮らしにとって、直接的には役に
立ちません。
音楽も、芝居も、小説も、絵画も、写真も、YouTube
も、ほとんどは実用性の無い「娯楽」です。
テーブルが大理石であろうが、ベニヤ板であろうが、食事
は出来ます。そこに飾る花も腹の足しにはなりませんし、美
しく盛り付けられた「仔羊の白トリュフ添え香草焼き・アン
ダルシア風」も、おかあちゃんが作った「豚のしょうが焼
き」も、次の日にはウンコになって下水処理場へと送られて
行きます。(ホントに、身も蓋も無い事言うよねぇ・・)
人は、本来必要のないものである “遊び” に金を掛け、
“遊び” の為に儲けようとしますから、余らせた金をそこに
注ぎ込みます。それ故に、“遊び” の中を莫大な金が動き回
ります。“遊び” に関わらなければ、金は儲かりません。
このことは、高額の報酬を得ている人間の職業や、大儲け
している企業の業種を考えれば分かります。
みんな、その時代その時代の “遊び” や “贅沢” に関わる
ものです。(プロ野球のオーナー企業の変遷を見ると、その
時なにが「娯楽」として人気があったかが分かります)
一方で、人の暮らしに必要な物を地道に作って、それが
「必要十分」なレベルであっても、「必要十分でしかなかっ
たら」全然金になりません。「必要十分」な物には「必要な
分」の金しか払われません。
「必要以上」の物であって初めて、「必要以上」の金が支
払われます。でも「必要以上」は「不必要」なはずなのに、
何故「必要以上」の金が支払われるのでしょう? 不思議で
すねぇ?
「絶対に必要な物」を、「必要十分」なクオリティで作っ
て社会を支えている人こそ、“充分に” 報酬を得るべきだと
思うのですけど、何故か世の中は「別に無くてもいい物」に
法外な金を出すのですね。どうなっているのでしょう?
「絶対に必要な物」を作る人や、「絶対に必要な事」をす
る人が居なければ、世の中は立ち行かなくなるのに、その様
な仕事には最低限の対価しか支払われない。
人の「アタマ」って、おかしいと思いませんか?
「必要最低限の物」には、「必要最低限の対価」。
確かに筋は通っています。
ですが、「必要最低限の物」は「絶対に必要な物」です。
そして、「必要以上の物」は本来「不必要な物」です。
どちらが、人間にとって大切かは言うまでもない。
東日本大震災の被災地で、まず求められた物は、水・食
料・雨風と寒さをしのぐ為の場所・燃料などですが、あの時
に「ビールと寿司とホテルとIHヒーターとガソリンスタン
ドを用意してくれ!」なんて、誰かが言ったでしょうか?
凍える体育館の屋根の下で、給水車の配る水に、炊き出し
のおにぎり一個に、がれきの焚火の温かさに、感謝の涙を流
した人たちが大勢いたはずです。
ところが災害を経験した人は、大抵次の様なことを言いま
す。
「被災した直後は、水道から水が出るという事だけで嬉し
かった。でも、生活が落ち着いて来ると、また当たり前と感
じる様になってしまった・・・」
わたしたちは生活に少しでもゆとりがあると、すぐに「絶
対必要な物」に「最低限の物」というラベルを貼ります。こ
の性分は何なんでしょうか?
わたしたちの “遊び” を求める気持ちには、油断も隙もあ
りません。
ほんの十円のお金、ほんの10分の時間でも余裕があれ
ば、何か気分を紛らわせる事に廻そうとします。何故、そこ
まで人は “遊び” を必要とするのでしょうか?
どうやら、人は「絶対必要な物」だけでは生きられない様
に見えます。けれど、そうなると ”遊び” も「絶対必要な
物」の中に入ってしまいます。分けたつもりだったのに、ど
ういうことでしょう。
それを必要としている「主体」が違うのですね。
“遊び” を必要とするのは、われわれの「アタマ」で、そ
れ以外の物を必要としているのは「身体」です。
「身体」は別に “遊び” なんか求めていないのに、「アタ
マ」が「“遊び” が無ければ生きて行けない!」と叫びだす
のですね。何故「アタマ」には “遊び” が必要なんでしょ
う?
わたしたちの脳の中で、生命を維持する為の基本的な活動
を受け持っているのは、大脳皮質以外の部分です。目や耳や
手を使って必要な物を手に入れる為には、大脳皮質もまった
く無関係では無いでしょうが、その活動の中心にあるのは、
“考えること” です。ですから、“考えなければ” 大脳皮質は
仕事にあぶれてしまうので、無理にでも、無駄でも、“考
え” ます。必要のない仕事をしてでも、存在価値を担保しよ
うとする管理職の様です。(本人はちゃんと仕事をしている
つもりでも、実は組織を引っ掻き回しているだけなのも、ソ
ックリですね)
「大脳皮質」。つまり「アタマ」は考えずにいられませ
ん。使わない機械が錆び付いて動かなくなる様に、考え続け
なければ「アタマ」は働かなくなってしまいます。それを防
ぐ為に、「アタマ」は不要なことであろうが、狂ったことで
あろうが、とにかく考え続けます。それは大脳皮質の機能上
避けられないことなのでしょう。(それで、こんなブログな
んか書いている・・・まいっちゃうね・・)
ところが、その為に困った問題が立ち起ります。
大脳皮質の大部分は、生命維持に関わっていませんから、
「アタマ」が考えることは、“生命としての人” にとっては
不必要なことでしかないのです。冷たい言い方ですが、「ア
タマ」の考えることは基本的に “ムダ” なのです。
言葉を変えれば、“余分” であり、「アタマ」(大脳皮
質)がやっていることは、ほぼ “遊び” です。
極論を言えば、人類にとって大脳皮質は “ムダ” だったの
です。(今のところ・・・)
わたしたちが「不必要な物」に大きな対価を支払うのは、
「アタマ」にとってはそちらの方が価値が有るということ
と、「対価」という考え自体が「アタマ」の作ったものだか
ら、「アタマ」の仕事(といっても “遊び” なんですけど)
に対して充当されるのですね。
なんの因果か、わたしたちは進化の過程で「アタマ」を背
負いこんでしまいました。
この「アタマ」は “ムダなことを考え続ける” のが機能的
な宿命です。ことがそれだけならば大した害も無いのです
が、考えたことを「アタマ」の中に持ち続けていると、負荷
的なフィードバックが掛かって、「アタマ」に障害が起きる
様なのです。それ故に、考えたことをアウトプットすること
を余儀なくされます。
「ムダな考え」が「ムダな物(言動)」となって、外に出
されます。
「ムダな物」が外に出されるとどうなるか?
「ムダな物」とは、要するに “ゴミ” ですから、地球上に
物理的・心理的な「ゴミ問題」が発生します。
わたしたちが、“遊び” にエネルギーを注ぎ込む為に、あ
りとあらゆる環境問題が発生します。CO2、PM2.5、酸性
雨、フロンガス、などの大気汚染の問題。森林破壊、土壌汚
染、海洋汚染、放射能汚染、適正に処分できない廃棄物。こ
れらはすべて「ゴミ問題」です。
そして、宗教・思想・経済・差別などの “心理的な「ゴミ
問題」” 。
時代が進むにつれ、これらの問題は大きくなるばかりで、
解決出来そうな気配はありません。まったく「アタマ」が痛
い話です。( ん? 「アタマ」の一人相撲ですね・・・)
「アタマ」が痛いのですが、「アタマ」はわたしたちの身
体に作り付けになっているので、今さら撤去出来ません。
「アタマ」が遊ぼうとするのを止めると、「アタマ」自体
に問題が起こりますから、わたしたちに出来るのは “「アタ
マ」が遊び過ぎない様にする” 事だけです。「アタマがする
事はムダ」というアラームを常に発するプログラムを、自身
にインプットして「アタマ」の暴走をコントロールしてゆく
しかないでしょう。
それで、世界をどうこうすることは出来ませんが、個人的
には、ムダなゴタゴタを自分で作りだす頻度を減らせるでし
ょうから、世界の問題はさて置いて、自分だけはちょっと楽
になれるでしょう。
世界中で行われている途方もない規模の経済活動(金儲
け)。その規模が、わたしたちがどれだけ “遊び” にエネル
ギーを費やしているかを表わしています。
「遊びで儲けて、儲けて遊ぶ」
それが何をもたらしているか、この先何をもたらすの
か?
人間にとって「幸福に生きる」ことは、そんな事なのか?
「いつまで遊んでるの!」
と、怒ってくれるおかあさんは居ません。
人類の日暮れは近付いているのかも知れない。
家に帰らなくていいのかな?
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