2017年9月20日水曜日

あなたの望みは叶わない。


 地球上のありとあらゆる所で、人間がなんだかんだといろ

んな事をしています。

 中には、首を傾げたくなったり、目を背けたくなったり、

失笑してしまうような事もたくさんあるわけですが、何の為

にみんなが右往左往しているかというと、結局 “機嫌良くな

りたい” わけですね。

 金があったら機嫌良くなれる人は、金儲けにいそしむ訳だ

し、未来の事が分かれば安心できると思う人は、占いに通っ

たりする。



 金が手に入って機嫌が悪くなる人は、まず居ないだろうか

ら、まぁ、それでいいんだけれど、金は公共物だから、自分

の所に集め過ぎると、どうしても他人との間に問題を起こし

て、不機嫌を生みやすい。

 占いによって未来の事を知っても、「“占いによって未来

を知った後” の未来」は知り得ないので、結局どうにもなら

ない。



 人がやっている “機嫌良くなる為の活動” は、たいていは

自分の置かれている状況を、自分の気の済む様に変える努力

です。それが叶わない場合は、自分の置かれている状況に自

分を合わせる事で、問題をなくして、安定しようとします。



 もうひとつ、“自分のものの見方を変える” という方法が

あるのですが、こちらはあまり流行りません。

 自己啓発セミナーとか、宗教関係のお話はこちらの系統

で、そこそこ需要はありますが、結果的に自分に都合のいい

話をつまみ食いして、周りの状況を変える為のツールに使う

ことが多いようです。


 そりゃそうなんです。

 みんな “自分が生きる為” に生きているのですから、自分

の方が変わるのはイヤです。自分が変わってしまったら、

“自分” が生きてることになりません。だから、“自分” では

なく、“周り” を変えたい。

 “周り” を “自分” の気が済む様に変えて、機嫌良くなりた

い。

 ですが、「機嫌良くなる」ということは、「機嫌良くない

自分」から、「機嫌のよい自分」に変わる事ですから、そこ

で “自分” は変わってしまっています。

 “自分” を変えたくないから、“周り” を変えたのに、結局

“自分” は変わってしまった。変わりたくなかったのでは?



 「自分の望む様に変わったんだから、それでイイじゃない

か。望まない変わり方をしたくないだけだ」



 そうです、人は “自分” も “周り” も望む様に変えたいん

です。

 でも「“周り”を変えよう」と働きかける時、その “「働き

かける」自分” は、どの “自分” でしょうか?

 周りの状況に不足を感じて、「なんとかしよう」と動き始

めた瞬間に、もう、さっきまでの “自分” じゃない。

 その時点で、もう、状況に変えられてしまっています。 

「なんとかしよう」としている自分は、“自分” で望んだ自

分じゃない。


 《 わたしたちは、“状況の奴隷” です

      “自分” を保持し続ける事は出来ません 》
 

 企業の経営者がビジネスで大成功を収めたら、その経営者

の望みが叶ったと思われますし、本人もそう思うでしょう。

 けれど、ビジネスというものは、市場の求めに応じなけれ

ば成功することはありませんから、彼が成功したのは「市場

の望み」に合わせたからです。望みを叶えたのは、“市場” 

の方です。

 「市場の望みを叶えるのが、自分の望みだ」という思いが

彼にあったのなら、いわゆるWinWin(日本には、「お互い

様」というゆかしい言葉があるんですけどね・・・)という

ことで、まぁ結構なことですが、現実には「自分が市場を操

作して、自分が成功させた」と考える者が多いんじゃないで

しょうか。


 では、自分の国を自由に操れる「独裁者」なら、自分の望

み通りに出来るのでしょうか?

 例え独裁者であっても、自分一人では何も出来ません。

 取り巻きの実力者の意向を無視すれば、「自分の望み通

り」にするどころか、クーデターを起こされて殺されかねま

せん。


 この世の誰一人として、「自分の望み」を叶えられる人は

いません。

 望みが叶っている様に見えても、それは、その人を取り巻

く状況が、たまたま肯定出来るものだというだけです。(ま

ぁ、ラッキーなことですが)


 ウサイン ボルトがいなければ、次の実力者が「世界最

速」として脚光を浴びていたのでしょう?

  早く生まれすぎた天才は首を刎ねられたりもするでしょ

う?

 「時世時節(ときよじせつ)」という言葉がありますが、

何事も「めぐりあわせ」です。


 《 個人の力は

      “出来事の要素のひとつ” に過ぎません 》


 起きていれば眠くなる、眠っていても目が覚める。

 シワも出来る、白髪も出る。

 病気になる、物忘れをする。

 必死になってそれに抗って、自分が自分の望まない変わり

方をしないようにする。その「抗う」事が、「すでに自分の

望んでいない(予定していない)変化」です。


 その様に、周りの状況も、自分自身の身体と意識の状態

も、「望んでいない変化」を遂げて行くし、望み通りになっ

たところで、その状況は一時しか続きません。それで機嫌良

くいられるでしょうか?


 なんだか「夢も希望も無い話」になりましたが、「夢と希

望」は必要なんでしょうか?


 恐ろしいことを言ってますね。

 でも、考えてみてもいいんじゃないでしょうか?

 「夢と希望は必要か?」と。

 「夢と希望は良いものなのか?」と・・・。


                 次回へ、つづく。











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