2017年9月27日水曜日
〈永遠の生命〉をさしあげます!
時間は存在するか?
〈時間〉というものは、この宇宙には存在していない。
〈エネルギー〉〈物質〉〈空間〉は存在していると考えざ
るを得ませんが(〈空間〉が存在しているというのも変なん
ですが)、〈時間〉はわたしたちの概念としてあるだけで、
宇宙には存在していない。
〈時間〉は、わたしたちが物事の変化を定量的に捉えよう
としたために脳に発生した機能であって、脳の外には無い。
物事はただ変化するだけで、時間が物事を変化させるので
はない。
「しかし、物事が変化する為には〈時間〉が必要ではない
か? 〈時間〉が存在しなければ、今は永遠に今のままだか
ら、何も変化しないだろう」
そう思えますが、〈時間〉は存在しないまま変化だけが続
いていてもおかしくはないのです。
しかし私たちの脳が、変化を見ると、どうしてもそこに時
間を見てしまう様に出来ているのです。
時計は時を刻んでいるのではありません。
定量的に動く機械を、モーターやゼンマイの力で動かして
いるだけであって、ただ目盛りの変化を見ているだけです。
〈時間〉の経過を “計っている” のではありません。“物事
の変化” に〈時間〉というラベルを付けているだけです。
時計の目盛りに合わせながら、「○○年○○月○○日○○
時○分○○秒」と、気になる所に “附箋” を貼り付けている
のです。
〈時間〉という概念を座標軸として持たないと、わたした
ちは、この世界の中で自分が何処に居るのか分からなくなっ
てしまうので、非常に不安になってしまいます(不安定と言
うべきでしょうか)。
わたしたちの脳は、〈時間〉という概念を使わないと、も
のを考えられる範囲が非常に制限されてしまいます。逆に言
えば、考えると言う行為が必然的に〈時間〉を要求して、そ
れに応じて脳が〈時間〉を生み出してしまいます。
そのように、〈時間〉は脳が生み出し、脳が管理している
“スケール” ですが、わたしたちの脳はこの〈時間〉に縛ら
れてしまいます。
「世界を捉える為に〈時間〉を生み出した」のに、その
〈時間〉を扱いかねて、逆に〈時間〉に縛られてしまった。
世界を見渡して確認出来るようになった半面、常に〈時
間〉が 、「“変化” のアラーム」を鳴らしているので、落ち
着くことが出来なくなつてしまったのです。喩えて言うと、
《川の中でもがいていた人が、〈時間〉というサーフボー
ドの上に立ち上がって、周りの様子を見る事が出来る様にな
ったけれど、足元が不安定で、常に「落ちる恐怖」に苛まれ
ている》
という感じでしょうか。
いつも〈時間〉を意識し、〈時間〉が生み出す(ように見
える)“変化” に攪乱され、留めて置くことの出来ない “現
在” というものが、〈無常〉として、わたしたちを脅迫する
ようになってしまった。
その結果、〈無常〉から逃れる為に「過去」に身を置き、
「未来」に手を伸ばすのが習い性となってしまった様です。
こういうのを、《自縄自縛》というわけですが、憐れなも
のですね、わたしたちは。
〈時間〉に縛られてしまった、憐れなわたしたちは、〈無
常〉から逃れる術として、〈永遠〉という概念を作り出しま
した。今の状態が終ることなく続けば、〈無常〉ではなくな
ると。しかし、そんなことは有り得ませんよね。
“変化” を捉えるために〈時間〉を生み出したのですか
ら、“変化” を止めれば〈時間〉も止まってしまい、「〈永
遠〉の時」を刻みようが無い。
考え方が間違っているのです。
《 〈永遠〉とは、「いつまでも続く」
ということではありません。
〈永遠〉とは、この “瞬間” が
全宇宙に拡がっている事です 》
わたしたちは、〈時間〉(という概念)を使うから〈無
常〉を見てしまいます。〈永遠〉にあこがれたりします。
〈時間〉が進んで行く事など無く、現に “在る” この瞬間
が全宇宙に拡がっている、と見たらどうでしょう?(実際、
拡がっていますよね?)
「〈時間〉の無限性」を求めるのではなく、この瞬間の
「〈空間〉の無限性」に目を向けたらどうでしょう。〈無
常〉は成立しなくなります。
果てしない宇宙の “果て” まで、“今” が満ちわたってい
て、太陽にも、銀河にも、彼方の星雲や銀河集団にも、太平
洋のクジラにも、南極のペンギンにも、電線のスズメにも、
道端のアリにも、屋根の瓦にも、私のパソコンにも、あなた
や私にも、同じ “今” が満ちているという事実は、あなたの
中に「豊かさ」をもたらさないでしょうか?
違う意味の〈永遠〉を感じさせないでしょうか?
私もあなたも、「悟りを開いて、あらゆる迷いから自由で
ある」という様には、なれそうもないですよね。
ほんの一時、「宇宙に満ちわたる “今”」を意識して、自
分が “在る” ことの「凄さ」といったことを感じたとして
も、それが何時までも続くわけではありません。
ですが、〈時間〉が見せる「過去」や「未来」が自分を取
り巻いて、「息苦しさ」や「不安」に耐えがたくなって来た
時、「宇宙のすべてが、自分と共に “今” 在る」ということ
を確認出来れば、「過去」と「未来」からの “おせっかい”
を静まらせて、「ふっ」とひと息つけると思うんですよ。
〈時間〉は、わたしたちが生み出して、わたしたちの中に
あるものなのに、迂闊に外へ出したばかりに、「追いかけ」
「追い立てられ」「追い詰められ」、わたしたち自身を苦し
めています。まるで、飼い犬に手を噛まれるように。
けれど、もともと自分が生んだものです。
飼い馴らして、良い関係を作ることも出来るのではないで
しょうか。
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