2018年6月6日水曜日

みんなが何を言っているのかといえば・・。


 毎日々々、テレビでもネット上でも、自分の身の周りで

も、人と人とが自分の言い分を通そうと懸命だ。

 誰にでもそれぞれにそれぞれの都合があって、言い分があ

る。中には人生の一大事だったり、命が掛かっているような

こともあるのだろうが、まぁ99.9%はその時の気分でそう

主張したいだけの、取るに足りないことだろう。

 あなたのこれまでを振り返って、自分が必死になって通そ

うとした言い分で、 「まっとうなものだった」と胸を張っ

て言えるものがどれだけ有りますか?


 私の場合は、どれもこれも、今にして思えば情けなくなる

様なつまらない都合で、自分の正当性を言い張っていたこと

ばかりですね。

 それらは、“ある条件” の中では確かに「まっとう」では

あるけれど、ちょっと立ち位置を変えれば「独りよがり」だ

ったり、「取るに足りない」ことだったりすることばかり。

 何をそんなに必死になる必要があったのか? 「アタマが

悪いんだなぁ」。そう思うばかりですね。


 そもそも「自分の正当性を主張する」ということ、「自分

の都合を通そうとする」ということ自体が、“つまんない” 

“取るに足りない” ことだから、主張の内容なんか関係ない

んですね。どんなに高尚なことであろうが、それが「自分の

  」というものである限り、“つまんない” ことです。


 「自分は正しい」

 「あいつはおかしい」


 みんな、四六時中そう言ってます。言わなくても、四六時

中そんな事を考えています。人の話すことを聞いていれば、

話の中身なんてほとんどそれです。自分が考えている事を意

識してみれば、ほとんどそれです。

 そんなに自分が「正しく」て、それでどうなるというので

しょう? せいぜい、一時気分が良いだけのことです。


 今まで何度も書きましたが、大事な言葉なので、また書き

ます。


 《「正しい」とは、

  そういうことにしておけば気が済むということである》


 これは、私にとって大変重要な言葉です。

 いえ、人類にとって重要な言葉だと思っています。


 誰も彼もが、自分の都合の「正しさ」を通そうとして、他

者と衝突するからです。


 《「正しさ」なんて「自分の都合」に過ぎない》

 そう誰もが認識していれば、世の中のゴタゴタのほとんど

は消えてしまうでしょう。

 「わたしは!わたしは!」とムキになっていると、「あい

つ、自分の都合を通そうと必死だな」と笑われてしまうこと

になるからです。

 主張して通そうとしなければならないような事は、そもそ

も大した事ではないのです。

 人として幸福に生きて行く為に大事なことは、特に主張し

なくても通って行くものです。そんな大袈裟なことではない

ですからね。


 生まれて、育って来る中で、どうでもいいことを大事だと

思わされて来た為に  「プライド」とか「自分の値打ち」

とかね(どっちも一緒か)  、幸福に生きることを大袈裟

に考え過ぎてるんですね。どうでもいい事を、必死に守ろう

とする・・・。

 《幸福は、自分の都合以前に存在している》

 という事を知らないから。


 ホント、気が付くとウンザリするほど、毎日々々、私も

「自分は正しい」「あいつはおかしい」と頭の中でつぶやい

ている・・。アタマが悪いなぁ・・。


 (話は変わりますが、「プライド」というのは〈自尊心・

自負心〉とかじゃなくて、〈責任〉とか訳して欲しいです

ね。〈矜持〉というのは良いけど。〈自尊心〉なんて、バカ

ですよ)


 そういうことで、あらためてテレビやネットを観てみる

と・・・。

 人間って、幼稚だなぁ。アタマが悪いなぁ。

 せめて、〈アタマが悪い〉ということは、意識して生きて

欲しいなぁ。



 ・・・という「私の主張」ではなくて、「独り言」でし

た。

 だって、永久に誰の目にも触れないかも知れないんだも

の。(でも、あなたは読んだ! 幸運でしょうか? 不運でし

ょうか?)



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