《機嫌の悪い奴はバカである》
「日大アメフト部の件については、もう触れない」と、前
回書いたのだけれど、部員達の声明が出て、パワハラの実態
が明らかにされてきたので、もう少し書きたくなった。
監督やコーチからの、言葉と暴力による支配が有ったの
は、どうやら確かなようだけれど、そういった事が行われる
時は、当然ながら、支配しようとする当事者たちは機嫌が悪
い。
「怒鳴る」、「嫌味を言う」といった、不機嫌を表明する
形で、選手たちに圧力を掛けて行っただろう。そして、選手
たちは監督・コーチの “不機嫌” を収めなくてはならないと
いう想いに追い込まれ、言いなりになっていったのだと思
う。
彼らは若い。若さのせいもあって、「自分達の上の立場の
オッサンたちの “不機嫌” は、自分の “至らなさ” のせいな
のだ」と思い込んでしまう。なぜなら、彼らの周りで今まで
自分を教育してきた、親・教師・部活やクラブの顧問など
は、「大事な事」を言う時には
ですけど
誰もが、世の中や人というものについて何もわからないま
まに教育される中にあって、「あなたの為だ!」という文脈
の中で何度も何度も怒られ、「自分が至らないのだ」と思わ
され、「目上の人が怒るのは、自分が至らないせい」という
認識パターンを深く植え付けられて来てしまうのだけれ
ど・・。
いやいや、“目上の人” が怒るのは、単純に「自分の気に
入らない」という理由によるものだ。
自分がコントロールできる許容範囲を超えると、どうして
いいのか分からなくなるので機嫌が悪くなるだけのことで
す。
カウボーイが、群れから離れる牛の尻を叩いて戻そうとす
るのと同じ様に、自分のコントロール下に戻そうとして、怒
鳴ったり殴ったりするのであって、それ以外の方法を見い出
す知性を持ち合わせていないということ・・、つまり “バ
カ” なんです。
日大アメフト部の選手たちに限ったことではないけれど、
怒鳴ったり、手を出したりされた時に、それで自分に肯定的
な変化が感じられたり、気分がスッキリしたりしないのな
ら、それはただ単なる相手側の “不機嫌” に過ぎない。
本当に「相手に良かれ」という想いがあって、怒鳴ったり
手を出したりする場合、その人が意識的か無意識かはともか
く、“怒鳴ったり手を出したり” という行為を、言葉で伝え
られない事を伝える為の手法として使う。そして、その「想
い」「手法」が適切であれば、それは伝わる。その場合、双
方とも “不機嫌” になることはない。
不機嫌と共に持ち出される言葉や行為は、単なるエゴの暴
発に過ぎないもので、「誰かの為」という動機によるものじ
ゃない。
けれどもわたしたちは、あまりにも長く、多く、「あなた
の為」とか「教育の為」という名目の下で、目上の者の不機
嫌を容認させられて来たので、それがその人間のエゴの暴発
(アタマの悪さの露呈)だと思えない・・。
誰もが、よ~く心に留めておくべきですよ。《機嫌の悪い
奴はバカである》ということを。
機嫌の悪い奴の言うことに取り合っちゃいけない。
そこに「良いもの」なんか含まれていない。
ほんとうに “実のある” 、人を導けるひとは、不機嫌なん
かにならずに人を良い方へ誘えますよ。
例え、表面上怒っている様に見えても、怒られた方が後味
の悪さを感じないのなら、それは「怒って見せてる」だけで
すよ。
とは言うものの、本当に人を導く力のあるひとなら、まっ
たく怒って見せたりしないかも知れませんね。それでも、人
を良い方へ導ける・・・。
こんな言葉があります。
《優しい言葉と、善心をもってすれば、
ただ一すじの愛によって象を曳くことも出来るだろう》
サアディ(ペルシャの抒情詩人)
美しい言葉ですねぇ。
人を指導する者であれば、そのようにあろうとするでしょ
う。
私は、暴言も暴力も反対だし、体罰も許せない。けれど、
善心からによる “一喝” や、“一発” というものは「あり」だ
と思っています。外科医が人を救う為にメスを使うように、
それを受ける側が心から納得できて、自身の幸福に役立った
と思えるのであれば・・。(「心から~」というところに、
いろんな落とし穴があったりするのですが・・・、自分が
「自分の心だ」と思っているのが、その人のエゴの一部であ
る場合とかね)
でもまぁ、機嫌の悪い奴はバカですよ。懐の小さい、セコ
イ人間です(残念ながらほとんどの人間がそうですが)。そ
んな奴の言うこと真に受けちゃいけない。
良寛さんの甥の素行が悪く、「意見してくれ」と頼まれる
逸話がありますが、その家に呼ばれた良寛さんは結局何も言
わずに、帰りがけにその甥に草鞋の紐を結んでもらいなが
ら、黙って涙をこぼすだけだった。けれど、その涙を見て彼
は回心したという。
その甥が悪い道に囚われていることを、心から悲しむ良寛
さんの気持ちが通じたのですね。
《ただ一すじの愛によって象を曳くことも出来るだろう》
そんな人にめぐり会えたら、無上の幸運でしょうが、日大
のオッサン達じゃぁねぇ・・。学生たちは「不運」でした。
でも、このことを「不幸」にしてしまわないように、これか
らは機嫌の良い人と付き合ってもらいたい。
彼らの幸運を祈るばかりです。
その甥が悪い道に囚われていることを、心から悲しむ良寛
さんの気持ちが通じたのですね。
《ただ一すじの愛によって象を曳くことも出来るだろう》
そんな人にめぐり会えたら、無上の幸運でしょうが、日大
のオッサン達じゃぁねぇ・・。学生たちは「不運」でした。
でも、このことを「不幸」にしてしまわないように、これか
らは機嫌の良い人と付き合ってもらいたい。
彼らの幸運を祈るばかりです。
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