2018年8月11日土曜日

男一匹、〈世の中〉を生きる


 この一週間ほど、ブログを書く取っ掛かりが見つからな

い。

 世の中にはいろいろなニュースがあって、まあネタはある

のだけれど、どれもこれも「まいどお馴染み」の人間のアタ

マの悪さによるもので、顔ぶれが変わるだけでやってること

に本質的な違いは無い。違うニュースについて突っ込んで

も、今まで書いて来た事と、たいして変わり映えがしないこ

とになってしまうだろう。

 そういうわけで、書きたいけれど書く気がしない。

 相変わらず「人は人」、「世の中は世の中」なんです。



 とはいうものの、日本ボクシング連盟の山根氏の “俗物” 

ぶりには驚かされた。78歳という年代とはいえ、「男とし

て・・」といった発言を連発し、あまりのアナクロさと、

己劇化の激しさは、とても現代の人間とは思えない。あゝも

単純に〈世の中のストーリー〉  それもかなり古い  

どっぷりハマれるのは不思議な気さえする。ほんとうに、自

分の都合の良い、閉じた世界で生きて来たのだなぁ・・。



 あのような人間が生き残って来て、尚且つ権力を持つとい

うことは、その世界が、その同じ価値観の人間で構成されて

きた証拠でもある。「“山根” 的」な人間の集まりなんだろ

う。

 私にはこの世のものとは思えないけれど、彼らには、それ

こそが〈この世〉なんだろうなぁ。



 どうしても、商売(金儲け)と政治とスポーツの世界

は、“俗物” であればあるほど、力を持ちやすいようだ。

 まぁ、それは当然でもあるのだけれど、ああいう人物を目

の当たりにすると、あらためてその本気さに驚かされる。

「本当に〈アタマ〉だけで生きて来たんだ」と・・・。



 しみじみと自分に親しんだり、しみじみと自分を見つめた

りしたことなど一度も無かったのだろう。気の毒なものだ。



 ああやって、自分のエゴをむき出しにして、エゴの充足だ

けを糧にして何十年も生きて来て、本人は満足し、刺激に満

ちた年月だっただろうが、私から見れば完全な「生きそこな

い」だ。だからこそこんな事件になってしまうのだが、その

ような状況になればなるほど、本人は頑なになる。なぜな

ら、その小さな小さな世界が彼のすべてだから・・・。よう

するに “お山の大将” なわけですね。

 世間的にどんなに大きく見えようが、 “お山の大将” は

「エゴの砂山」の上でほくそ笑んだり、足元をさらわれない

かと不安に怯えてるだけだ。不安だからこそ高圧的だし、自

分の立場の確かさを感じられることには、「バカじゃねえ

の」というほど単純に喜ぶ・・・。ほんとに幼稚で単純で始

末が悪いね。


 「比べあうこと」 

 「得ること」

 「管理・支配すること」

 そういったことが中心となるような世界(人の集まり)

は、どうしてもエゴのエネルギーが濃くなる。違う表現をす

るなら、「ストーリーが、狭く・強固になる」。

 ある決まった形の〈成功〉といったものを、誰もが信じて

疑わない世界・・・。

 カルト教団や、過激なイデオロギーの集団と本質的な違い

は無くて、その小さな社会の中で自己完結して、エゴイズム

を濃縮させてゆく・・・。


 「違う世界もあるのだ・・・」とか、「自分(たち)が正

しいという確証なんて無いのだ・・」とか考えてみるゆとり

のない人達が、それぞれに集まって小さな社会を作り、それ

らが集まって、一つ上の階層の社会を構成する。

 人間の世界は、〈エゴ〉のフラクタルなシステムだ。


 違う世界で生きているはずなのに、集団と集団の価値感に

対立があれば衝突したりする。「衝突できる」ということ

が、本質的に同質であることを表わしている。

 サメと狼が衝突する事は無い。違う世界で暮らしているか

らだ。けれど、オオカミと熊が衝突する事はありえる。生き

方は違っても同じ世界で暮らしているからだ。


 「(自分の)エゴに応える」という行動原理を同じくして

いる限り、違うはずの者の間には問題が生まれ続け、世の中

は乱れ続ける。さらには、“乱れること” がエゴを興奮さ

せ、SM的な喜びを感じさせるので、エゴは密かにトラブル

を望んでいる。手に負えない


 私たちは、多かれ少なかれ「“山根” 的」なものである。

 「それが問題なんだよ」と、キリストや釈迦が指摘してか

ら、もう二千年以上が経つのだが、相も変わらずエゴの興奮

を、「しあわせ」だと思って生きている。


 山根氏を、社会の価値感の上に立って真っ向から批判する

のであれば、同じリングに上がっているのだから、「明日は

我が身」と思っておくべきだろう。


 山根氏の居るリングの照明を、「黙って消す」とか、会場

に「外からカギを掛けてしまう」というのが、上手なやり方

のように思うけどね。「放ったらかして相手にしない」とい

うのがね。

 ああいう小さな業界が腐ってしまっているのなら、自然消

滅させた方がいいでしょう。必要なら、また自然発生するの

だろうからね。

 それでマシになったとしても、所詮「エゴはエゴ」に止ま

るのだけども。まあ、世の中の話ですね。




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