二・三日前、アマゾンの奥地で今まで知られていなかった
部族があらたに発見されたというニュースがあり、ドローン
から撮った映像が公開されていた。
病気を持ち込んでしまう危険があるため、直接には彼らと
の接触はしないとのことだったので、彼らは自分たちの生活
圏の外に様々な人間が生きていて、文明化された世の中に暮
らしている事など想像もできないはずだし、ドローンを見上
げてもそれが機械であることも分からない。機械というもの
の概念すら無い。その様な彼らが、わたしたちと同じ時間を
生きている・・・。
そして思った。
地球温暖化は、現代のわたしたちにとって大きなテーマの
一つだけれど、人間の活動のせいで地球が温暖化していると
いうのが本当だとしても、彼らにとっては、大量のエネルギ
ーを消費しながら暮らしているわたしたちは存在してない。
当然ながら、温暖化が自分たちと同種の人間によるものだ
なんて発想すら無い。
たとえ、「最近、暑くなったな」とか、「以前はたくさん
生えていた木が、この頃少なくなったな」といったことを彼
らが感じていたとしても、それは彼らにとっては自然現象で
しかない・・・。
そのことを考えた時、温暖化が “人為” によるものかどう
かなんて騒いで、「ああだ、こうだ」と言っている “文明
人” のバカさ加減が、際立って見えてくる。
彼らにとっては真相がどうであれ、温暖化は自然現象で
す。
自分たちの知らない、外の世界の働きによって環境が変わ
るのですから、それは自然な成り行きであり、運命です。
一方で、当のわたしたちは、「自分たちの活動のせい
で・・・」などとグダグダと言い訳を続けながら、今までの
暮らしぶりを改めようとはしない。
ちょっとばかり環境負荷を減らすことをやって、それを免
罪符にして自分を正当化しようとするのが関の山。
自分たちの能力が、温暖化を招いているのなら、自分たち
の能力でそれを止める事も出来そうなものですが、出来な
い・・・。
そもそも、「自分たちが温暖化を進めて来た・・・」とい
う考え自体が、人間の傲慢なのでは?
自然の成り行きとして文明を築き、それが世界規模にな
り、止める事も出来ずにその文明に引きずられて行ってしま
っている・・・。それだけの事ではないだろうか。
地球温暖化が人間の活動によるものだとしても、人間はた
だそういう方向に動かされてそうしてしまっているだけで、
やはり自然の成り行きなのだと思う。
ビーバーが自分の巣の為にダムを作ると、まわりが水没し
てしまうけれど、当のビーバーは自分の業(ごう)に従っ
て、止むに止まれずそうしているだけだし、そのとばっちり
を受ける生き物にとっても、それは自然現象です。
人間のしていることも、その類のことだとも言えます。
太古の昔、海の中でシアノバクテリアが自分勝手に大繁殖
したせいで、地球上には有害な酸素が大量に発生してしまっ
た。それは当時の地球では、とてつもない環境破壊だったは
ず。人間もシアノバクテリアのような存在かもしれない。
すべての生物が、大なり小なりそのような存在なのかもし
れない。
そして人間以外の生き物は、その役割をただ淡々とはたし
ているのかもしれない。
人間のせいで地球が温暖化して、その為に異常気象
は『不都合気象』と呼びますが
っぽけで愚かなわたしたち人間は、それを自分の業として引
き受けるしかないでしょう。だいたい、「台風が強力化す
る」とか「干ばつが増える」だとか言うけど、結局人間の都
合しか考えていないし、「ホッキョクグマが滅びる」とかい
う類の話も(その可能性がどれ程かはさておき)、温暖化論
者と、それを政治利用しようとする人間のプロパガンダでし
ょう。今この時にも、人間のせいで滅んでいっている生物種
があるはずなのに、なぜことさらホッキョクグマなのか?
シンボルとして?
人間が愚かであることは、私は人間として悲しい(もちろ
ん私もその「愚かな人間」のひとりです)。けれどたぶん、
その愚かさは宿命付けられている。
その宿命が「神の方針だ」とまでは言わないけれど、人為
を超えた流れであるのは確かでしょう。
だって人間は、地球に合わせた生き方が出来ない。あるが
ままを受け止めながら生きることも出来ない。
そのくせ、その暮らしは地球環境のちょっとした自然な変
化で、簡単に滅びてしまう程度のものです。特に、今の文明
なんて、たかだか二百年程度の歴史しかないものです。簡単
に潰れてしまう。(アマゾンの彼らは、もう何千年も「持続
可能な社会」を生きて来たのに・・・、どちらが人として優
れているのでしょう?)
自分たちを主役と考える〈自己イメージ〉を払拭しないか
ぎり、人為による温暖化は止められないだろうと思うけれ
ど、「自分たちを主役と考える」こと自体が、自分たちの意
思ではないので、自分たちではどうにもならないでしょう
ね。
それにしても、アマゾンの彼らの存在を考える時、「やっ
ぱり、それぞれの人間がそれぞれに閉ざされた世界に生きて
いるだけなんだなぁ」と思う。“縄文” と “AIに夢と怖れを
感じる時代” が同時に存在しているんだからね。
わたしたちは、わたしたちの世界の夢を見ているだけなん
でしょうよ。それが「悪夢」かどうかは、見る人の度量次第
でしょうがね。
そして、わたしたちの世界の外から、わたしたちを見て
「何か」を思ってる存在があるかも知れませんよ。
アマゾンの彼らにとって、ドローンが何かも分からないよ
うに、わたしたちにとって外の世界の存在は理解不能ですか
らね。論理的に考えて・・・。(「宇宙人がどうのこう
の・・」、なんて話じゃないですよ)
彼らの姿を見て、その暮らしぶりを想像して、大抵の人は
「自分たちが進んでいる」というように考える事だろう。け
ど、事はそういう単純な話ではない。彼らは「遅れている」
のではなくて、違う世界・違う時代に生きているのだと考え
るべきだろうと思う。
わたしたち現代人は、地球環境から乖離してしまっている
といえる。
わたしたちは、もはや宇宙人のようなものだ。
彼らより「進んでいる」のではなく、彼らも含めた “地
球” から、「外れてしまっている」と見た方が適切なのだろ
う。
わたしたちが彼らの暮らしを覗き見たように、彼らが東京
の暮らしを覗き見たら・・・。とても、人間が生きているよ
うには思えないだろうね。
もしもこの文明が、あと三千年続いたら・・。
その時には、彼らに対していっぱしの口を利く資格がある
かもしれない。
三千年後も残ってる可能性が高いのは、彼らの暮らしの方
だろうけどね
けど。
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