2018年8月19日日曜日

友達はいない。~『悲しい日々』上田正樹 


 上田正樹のソロデビューアルバム『上田正樹』。

 1977年の発売だと思いますから、かれこれ40年前の作品

で、もちろんレコードです。これ、名盤なんですね。

 その一曲目の『悲しい日々』という曲を聴いて、当時二十

歳ぐらいだった私は衝撃を受けました。

 こんな歌詞です・・・



 人波の中にいると はやく帰りたいと思い

 冷え切った部屋に帰れば 街が恋しくなる

 一人ぼっち部屋に居ると 淋しさに狂いだしそうになり

 友達と笑い合えば 

 やっぱり一人ぼっちなんだと思い知らされる



 みんな淋しさを隠そうと 引きつった笑顔みせている

 笑い合えば笑い合うほど オレ達は離れて行く

 そんな気がする




 コンクリートの空の下 オレの太陽はどこにある

 コンクリートの空の下 キミの太陽はどこにある

 キミを愛せもしないオレが キミに愛されたいと思い

 愛し合ってもいないオレ達が 

 からだを寄せ合い夜を過ごすことがある



 みんな淋しさを隠そうと 引きつった笑顔見せている

 笑い合えば笑い合うほど オレ達は離れて行く

 そんな気がする


 昨日も風は吹いていた 今日も風は吹いている

 明日も風は吹くだろう でも日に日に

 冷たくなっていくんだ



 みんな淋しさを隠そうと 引きつった笑顔見せている

 笑い合えば笑い合うほど オレ達は離れて行く

 そんな気がする

 離れて行く

 そんな気がする


            (詞・曲 金森幸介)



 当時、こんなことをストレートに歌ってくれる人はいなか

ったし(今もいないけどね)、まさに自分が感じていたこと

だったので、ビックリして、感激してしまったのです。



 みんながみんなこの歌詞の様ではないし、仲良く楽しく友

達と過ごしている(つもり)だろう。けれど、少し内省的で

あれば、「人は、ひとりで生まれて、ひとりで死んでゆく」

ということに思い至る。その孤独や虚しさ淋しさは、普通一

般に考える “友達” で解消できるものではない。でも、しか

たがないので、一時しのぎで淋しさを紛らわせているのだ。

だけど、自分をごまかしきれない人はたくさん居て、そうい

う人達にこの歌は突き刺さる。

 
 私はもう四十年もこの曲を聴き、口ずさんで来たけれど、

今もってまったく古くなっていない。それは人が生きること

の本質を突いているからだろうと思う。



 誰かと繋がる為にスマホを手放せない子たちが、ついうっ

かりYou Tubeでこの曲を聴いてしまったらどんな気持ちに

なるだろう。(ぜひ、「うっかり」してもらいたいと思う

が)

 誰かと繋がる前に、まず自分自身と繋がることを考えなけ

れば、友達なんて絵空事で、表面上耳ざわりの良い “お話”

でしかない。それどころか、ひとつ間違えば苦しみの種にな

る。


 自分のこともよく分からないのに、他人のことが分かる

か?

 分からないものと分からないもの同士が、ほんの少しの共

通項で関わり合って、親友だとか、ともすれば “真友” だと

か言う。その言葉の意味することもよく分からず、自分たち

イメージを美化したいために・・・。


 “友達” という概念ほど大雑把なものもない。よく分から

ない概念です。

 それこそ「幼稚園のお友達」から、「そいつの為に全財産

や命も投げ出せる」という繋がりまで、“友達” という言葉

で呼ぶ。

 そんな風によく分からない言葉なので、私はあまり使わな

い。自分に友達がいるとも思わない。だって、誰を友達と呼

んでいいのかが分からないんだから。


 “友達” という言葉がなくったって人と付き合えるし、そ

の方が変なイメージの縛りがなくていいのかもしれない。


 「仲良くできるから、付き合ってる」

 それでいいのだと思う。


 “友達” だとか、“彼氏(彼女)” だとか、自分や相手をあ

るカテゴリーにはめ込まなければ付き合いにくいなんて、ほ

んとに良い人付き合いではないんだろう。

 仲良く出来る人と仲良くしていればいいだけのことでしょ

う。自然にね。


 お互いの間の共通項という舞台で慣れ合う “友達” じゃな

く、深い意味での “友達” という関係を持てるのは、社会の

中の「お話」を脇にどけて、ともかくにも「生きてる」生身

の人間同士を認め合うことができるときでしょう。


 なんにせよ、人は本質的に「ひとり」です。

 その「ひとり」であることを踏まえた上で、「ひとり」と

「ひとり」として人同士がかかわってゆく・・・。

 そんな間柄なら “友達” と呼んでみたい。(ハードルを上

げ過ぎかな)


 みんな淋しさをかくそうと

 引きつった笑顔見せている


 淋しさをごまかそうとするのではなく、自分の淋しさを認

めて、その “淋しい自分” と親しむ。自分と友達になってや

る。それが、本当に淋しさを解消する手立てだと思う。


 ちょっと周りを見渡せば、「引きつった笑顔」を見せてい

る人がいっぱい居るのが分かる。

 みんな淋しくない振りをしているだけだし、振りをしてい

るうちに「淋しくない」と自己暗示にかかっているだけで

す。


 人は「ひとり」を生きる。

 いや、人は「自分」を生きる。

 「自分」という唯一無二のものに親しんで、慈しんでやれ

ば、淋しさの出てくる余地は無い。

 他人と良い付き合いが出来るのは、それからの話でしょ

う。




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