2018年8月4日土曜日

「普通」は普通か?


 今日は「普通」について考える。

 「普く通ずる」のが「普通」ということだろう。

 「普通」は、〈人間の判断の基準〉という意味として使わ

れていると考えてよいと思う。

 「普く通ずる判断基準」

 ウソだね。


 「普く」というほど普遍的な判断基準を、普通の人(!)

はとっていない。「まぁ、この位が妥当で納得出来るね」と

いう程度で、尚且つ自分がそこから外れないことを「普通」

と言っているだけです。まったくの “ご都合主義” です。

 自分に都合がいいことが、「普通」なんです。

 そして、自分の都合に余裕の無い人間ほど、「普通」のキ

ャパシティが小さくなる。


 「普通」の反対語は、たぶん「特殊」あるいは「異常」と

いうことになるんでしょうが、余裕の無い人は「普通」の範

囲が狭い為、「異常」と感じる事が多くなります。そして、

「おかしい」「それは違う」「それは変だろう」などという

ことを、しょっちゅう口にすることになります。すごく狭い

世界に身を置いているんですね。


 あなたのまわりにも居るでしょう。二言目には「あの人は

おかしい」とか「あのやり方は変だ」とか言う人(もしかし

たらあなた自身かもしれませんが・・・)。

 「まわりにも居るでしょう」というより、たいていの人は

そういうことを普通に言いますね。

 自分の拠って立つ世界を乱されたくないので、そこから外

れる事や人を否定するのです。でも、しょっちゅう否定して

いるというのは、自分の世界の “狭さ” “余裕の無さ” の証拠

です。自分の世界が “狭い” ということは、「普通」じゃな

くて「おかしい」のは自分の方かもしれませんよ。


 人のことを「おかしい」「変だ」としょっちゅう批判する

人は、「もしかしたら自分は普通じゃないかもしれない」、

「自分はおかしいのかもしれない」という不安を強く持って

いるのだと思います。


 世の中から教えられた基準や、自分の心理的安定を保つた

めの価値感が狭かったり、偏っている為に、常に不安を感じ

させる事に出会ってしまう。そして、自分の正当性を自分に

い聞かせる為に、口癖のようにしょっちゅう口走る「あれ

おかしい・・・」。

 「自分の方がおかしいのかも知れない」なんて、恐ろしく

て考える事も出来ないんです。


 確かに、人間から見て「普通」というカテゴリーに入れて

おいてよいことは有りますよ。日々の暮らしを成立させるた

めに都合が良いことはね。

 でも、本当は「普通」なんて存在しませんね。


 このところの連日の猛暑で「異常だ。異常だ」とやたらに

言いますが、「都合が悪い」「気に入らない」というだけで

しょ。

 「異常だ」と言って気温が下がってくれるのであれば良い

けれど、そんなはずもない。「異常」だろうが、「非常」だ

ろうが、「無情」だろうが、それが現実ならその現実を生き

るしかありません。どうせ「平年並み」でも「暑い!暑

い!」と言っているはずだろうし・・・。(たとえば、一日

だけ東京中のエアコンをOFFにして、マイカーの使用を停止

して、東京の気温がどうなるかを実験してもらいたいと思

う。3℃ぐらいは下がるんじゃないだろうか・・。実際にや

らなくても、コンピューターのシュミレーションで答えは出

るだろうけど、そんな都合の悪い結果の出そうな事はやらな

いいだろうね。エアコン点けて、車で走り回って、街を暑く

して、暑いからエアコンをさらに強くして・・・。そんなこ

とだろうと思うけどね)


 自分は「普通」。

 自分に都合の悪いものは「おかしい」。

 それが、普通の人間というものでしょう。


 そんなに「普通」が良いんだったら、「人より賢く」とか

「人より美人」とか「人より金持ち」とか「人より長生き」

とか求めるんじゃない!

 自分の都合が良い事だけ、「普通じゃない」方が良いなん

て勝手ですね。でも、そんな勝手な人が「普通の人」なんで

すね。「普通」って、胡散臭くてズルイものをかかえてるも

のです・・・。


 「普通」かどうかなんて考えなくなったら、世界がかなり

広がって、生きることに余裕が出てくると思うんですが、そ

んな考え「普通じゃない」んですね・・。 


 「普通」の人っておかしいんですよ。アタマがね・・・。



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