今回のタイトルは、心の中で私やあなたが毎日何度
もつぶやいている言葉です。
職場や学校で、テレビや You Tube や X を見て、
家族と話して、スーパーの通路で邪魔な挙動をするオ
バサンを見て、「それは違うやろ!」と心の中で無意
識につぶやいている。誰も彼もがつぶやいている。時
には口に出して威嚇する。「それは違うやろ!」。
私自身、一日に何度そうつぶやいているかわからな
い。直接でも間接でも、人と関わる限りわたしたちは
これをつぶやき続けることになる・・・ああ、疲れ
る・・・。
こんなブログを書いている人間なので、このつぶや
きを止めたいと意識はしている。けれど止められな
い。どうあがいても、人と関わり、社会の中にいる限
り、止めることができない。思考の本質として、差異
(違い)を捉えなければ物事を扱えないから。
そして、人との関わりの中で見つける差異は、その
人の思考から出てくると認識しているので、そこに問
題を感じると、その人の管理責任を問いたくなってし
まう。「それは違う!」「そんなもん出すな!引っ込
めろ!」と・・・ああ、疲れる・・・。
自分のアタマが「それは違う!」と言うのを止めら
れれば、どれほど心が安らぐだろうか。
わたしたちのアタマは狂ってる。良いことを生み出
すことなどほとんどないのに、ことあるごとに「それ
は違う!」「それは違う!」と・・・ああ、疲れ
る・・。
〈みんな違って、みんないい〉
ダメだ。それを通して行けるほど、世の中は善良
じゃない。
〈みんな違う。それだけ〉
いや、まだ何か重たい・・・。
これはどうだろう。
〈わたしとは違う〉
「違う」という視線を自分の方にも向けてみる。
自分と相手が違っていることに変わりはないが、批
判的な気分はかなり薄らぐだろう。
「自分はコイツと違うんだ」という高慢さが顔を出
しそうにも思うけれど、「そんなのダサいぞ」という
意識を持っていれば、大人しくさせていられそうに思
う。わたしたちは格好つけたがるものだから。
〈わたしとは違う〉
淡々とそうつぶやけば、バカバカしい徒労からそこ
そこ解放されそうに思えるが・・・。
あれは違う、それは違う、これは違う・・・。
そうやって気付けば一人で区別の檻の中に自分で
入っているわたし。
そもそも同じ人間は二人と居ない。始めっから違う
のに、わざわざ「違う」と腹を立てるわたし。
「いや、自分と一緒の仲間がいる」
「けど、あいつらとは違う」
仲間と一緒に檻に入っているわたし。
その檻の中でも〈わたしとは違う〉を始めるわた
し。
結局一人の檻の中にいるわたし・・・。
「孤立はよくない」という話をしているわけじゃな
い。「違う!」とつぶやいてみたところで、「違う!」
と責めたところで、「違い」がなくなることはほとん
ど期待できない。首尾よく「同じ」を生み出せても、
周りをみるとさっきまで格闘していたのと同じ「違
い」がまたそこに有る・・・。
わたしたちは果てしない徒労を続けていることを意
識していない。それどころかサディスティックな使命
感と達成感に酔いさえする。
そんなわたしたちを、神や仏が見ている。
「あんたたち同じだね」
わたしたちはお互いに、救い難いということではな
にも変わらない。
思慮の足りなさに出会ったとき、
「お互いバカだよね」
そうつぶやけたなら、その視点は神や仏に限りなく
近いはずだ。
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