前回の話は何度も書いては消してをしながら、よう
やく書き終えた。「何度も推敲を重ね・・」というよ
うな高尚なものではないけれど、何度も「これはゴリ
押ししてるな」という感じになって、「もうボツにす
るか」と思いつつ、どうにか「まぁいいんじゃな
い?」というところまでたどり着いた。
読むとぎこちない感じがするけれど、口からでまか
せだから、それなりに体裁が取れればいい。
何度も書き換えたのは、口からでまかせじゃなく
て、でっち上げようとしているのを自分で感じていた
から。
自分では“でっち上げ”と“口からでまかせ”は全
然違うと思っている。
“でっち上げ”は手練手管で体裁を繕うだけだけ
ど、“口からでまかせ”は体裁は悪くても、深層心理
のひらめきから、思いがけず面白いものや有用なもの
が出てくる可能性がある。
「実のあるデタラメ」と「整った空疎」なら、私は
前者に軍配を上げる。
こういう性分は子供の頃からで、若くて生意気なと
きには、一緒に働いている人の身内が亡くなって香典
を集めるとなったときに、(口には出さないが)「故
人の名前さえ知らない人間から、慣習だというだけで
香典を集めるなんて、自分の身に置き換えれば、かえ
ってその人に失礼だ」と、香典を出さなかったりし
た。おかげで「あいつは香典さえ出し渋るドケチだ」
と陰口を叩かれたりしていた。少し年齢が上がってか
らは、「ムキにならずに合わせとけばいいか」と普通
に応じるようになったけれど、べつに後悔などしてい
ない。あれはあれで自分らしくて良かったと思ってい
る。
バーノン・ハワードの言葉にこういうのがある。
よい印象を与えなかったというのはどこが悪いの
でしょう?(中略)他人に自分をよく見せかけな
いではいられない欲求 世界の災厄の半ばはこ
れが原因です。(中略) リアルでありなさい。
よく見せようとすることはやめなさい。
『なぜあなたは我慢するのか』より
世の中というのは表面上それなりに落ち着いてい
て、そこで生きる人たちは、それで良いことにして面
倒な事は考えないようにしている。それはかなり強固
な構造で、わざわざ波風を立てたところで何も変えら
れないばかりか、それなりに落ち着いている人たちを
脅かすのは人が悪い・・・三十代でそういう配慮がで
きるようになり、私は世の中をたしなむようになっ
た。
それはよい印象を与えようとしてのことではなく、
あくまで思いやりからだけれど、真の意味での思いや
りではない。世の中に合わせた思いやりでしかない冷
淡なものだ。だけど仕方がない。私のせいではない。
「表面上の落ち着き」がなんらかの事情で崩れる
時、それは表面であるがゆえに、そこにすがっていた
人たちは落ちて行く、沈んで行く。
世の中の好印象の物事は、往々にして印象に留まっ
ていて、確かな基盤を持っていない。実が無い。
私はそんなものに関わるのは気持ちが悪い。落ち着
かない。なので、自分の印象が悪くても関わらない。
好印象 他人を通さず、自分が好印象を持てる自
分でありたい。
今回は、口からでまかせですんなり短時間で書き終
えた。こういうのが望ましいなぁ
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