2017年7月16日日曜日

フンコロガシにあこがれる?


 「砂漠」「ピラミッド」と続いたので、今日は “スカラ

ベ”(フンコロガシ) の話でもしましょう・・・、といって

も、エジプトのスカラベのことはよく知らないので、日本の

スカラベ  つまり、糞虫のことを。(ズルですね)


 以前、山で昼ごはんを食べていた時に、赤いセンチコガネ

が飛んできて、私の足にとまりました。

 センチコガネというのは、日本に居る糞虫の一種で、哺乳

類の糞を食べて育つ虫です。センチコガネという名の通り、

カブトムシやカナブンなどと同じ、コガネムシの仲間の甲虫

ですが、メタリックな光沢を持つ、たいへん綺麗な虫です。


 この時は、丁度おにぎりを食べていて、足の上にとまった

センチコガネを見ながら、手に取ろうか、止めとこうか、し

ばし考えていました。なにせ相手は糞虫です。どこかで、何

かの糞の上を、這い回ったり、頭を突っ込んだりしてきたは

ずですし、その後、手(脚)を洗って来たとも思えません。

そして、私の手にはおにぎりが・・・。


 しかし、センチコガネが向こうから訪ねて来てくれたので

す。例え、食事中であったとしても、この美しい虫を手に取

らずにはおれません。捕まえて、しばらく、しげしげと眺め

ました。

 糞虫とはいえ、彼らは身体を清潔にするように心掛けてい

るので、糞などはどこにもついていません。見た目は、きれ

いです・・・。(きっと、私の手の方が細菌だらけでしょ

う)

 でも、ほんとに綺麗な虫です。

 派手さはないですが、その深い金属光沢は見事です。アル

ミに、赤紫の焼き付け塗装を施したような輝き・・・。この

虫のからだは、糞から作られているのです。眺めていて、改

めて驚いてしまいます。「この世界は、なんと不思議なんだ

ろう・・・」。


 実のところ、わたしたちのからだも、間接的に糞を食べる

ことで作られています。

 植物が無ければ、わたしたちは食べ物にありつけないわけ

ですが、その植物が養分とするのは、他の生物の排泄物です

から、わたしたちは間接的に糞を食べているわけです。


 センチコガネの様な生き物を見ていると、どうしても「美

しさ」とか「汚さ」とか、「清潔」とか「不潔」といったこ

との意味を考えずにいられません。

 「感染症」というものは、人間だけに限らず、ほとんどの

生物にとって大きな問題です。「清潔さ」という感覚は、感

染症の危険を避ける為に必要で、「清潔さ」に気を配ること

を疎かには出来ません。が、しかし、わたしたち日本人の

「清潔」に対するこだわり方は・・・。ビョーキですね。


 日本人の「清潔」は、感染症を避ける目的を遥かに通り越

して、病的です。ここでも、“手段” が “目的" にすり替わっ

ています。歯ブラシの柄や髪をとかす櫛、小学生の使う下敷

きが “抗菌” であることに、どんな意味があるのでしょう?

 もはや、感染症を怖れているのではなく、“菌” や “ウイ

ルス” という「他者」を、とにかく排除したいだけです。


 「他者」を排除したがっているのは、わたしたちの “エ

ゴ” です。“エゴ” が自身を守る為に、たとえ目に見えない 

“菌” であっても、素性の知れないものなどと関わりを持つ

ことを嫌がっているわけです。


 「別にそれでいいじゃないか。素性の知れないものと関わ

らない方が、安全だ」


 確かに、そうではあるんですが、わたしたちはすぐに度を

越すのです。


 自分の身体の常在菌を殺してしまって、かえって病気にな

ったり、病気という「他者」を排除したいが為に、不必要な

治療をしたり、過剰に薬を飲んだりするのです。「治療」や

「薬」も本来は「他者」であることは忘れて。


 こういった時には、“エゴ” は身体の立場を無視していま

す。「身体のことなど、どうでもいい」といった状況です。


 「とにかく、気に入らない奴は排除する! その為には、

手段は選ばない!」


 “エゴ” にとっては、自分の身体さえ「他者」です。

 病気をしたり、老いぼれたり、トイレを我慢出来なかった

りする厄介者なのです。


 人は古来から、自分の身体を「厄介だな」と思ってきまし

たが、文明が進んで、さまざまな事をコントロール出来る様

になって、自分の身体の「厄介さ」をさらに強く感じだした

様です。

 アタマはバカですから、“エゴ” 優先の生き方が、身体を

苦しめることが分かれないのです。“身体” が滅んでしまえ

ば、アタマも道連れになるのに・・・。


 逆から見れば、《 “身体” にとって “エゴ” はとてつもな

「厄介者」です 》何が正しいかもよく知らないくせに、

「あれやこれや」「なんだかんだ」と、分かったように命令

を下して、“身体” を支配下に置こうとするのですから。

 生半可な軍事知識しか無い指揮官が、戦場で部下を動かし

たら・・・。

 わたしたちの “エゴ(アタマ)” は、常に指揮官気取りで 

“身体” に指図します。それだけにとどまらず、他人も世界

さえも支配したがります。


 「でも、ほんとのウイルスは、お前(エゴ)だよ」


 “身体” は、いつもそう言ってはいるのでしょう。大

抵、“エゴ” には聞こえませんが。


 「消えて無くなれ」とまでは言いませんが、“エゴ” には

もっともっとおとなしくしてもらう方が、人は健全に生きら

れるでしょうね。そうすれば、センチコガネの様に、わたし

たちも輝きを放つことが出来るのかも知れません。





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