2018年12月9日日曜日

角淳一は凄い。



  大阪に角淳一(すみじゅんいち)というフリーアナウンサ

ーがいます。

  元毎日放送のアナウンサーで、定年後にフリーとなりまし

た。関西では誰でも知っている有名人で、関西テレビの桑原

アナと共に、“面白いアナウンサー” というカテゴリー

日本に作り出した〈偉人〉であります(関西人が笑う所で

よ)。


 その角さん(関西ではそう呼ばれて親しまれています)

が、局アナ時代にやっていた《すみからすみまで、角淳一で

す!》というラジオ番組の中で、共演の原田伸郎や後の番組

の坂東英二ややしきたかじんなどと、いつも、本当にしょう

もない雑談をする時間がありました。そこが凄く面白くて楽

しみだったのですが、ある日、いつものように下らない話で

盛り上がった後に、角さんが「こんなしょうもないことばっ

かり言いながら死んで行くんやろうなぁ」と、本当に嬉しそ

うに言ったのです。

 それを聞いた時、私も「そうやなぁ」と嬉しくなったので

した。


 わたしたちは “しょうもないこと” を言ったり、したりし

ながら、生きて死んで行けばそれで良いんじゃないでしょう

か。

 変に大袈裟に、真面目ぶって、深刻に物事を捉え、凄い事

や立派なことをしようなどと考えるから、却って世の中を引

っ掻き回して面倒にしているのではないでしょうか?


 平凡な日々の生活を、そこそこに支え、それが出来たら 

“しょうもないこと” を楽しんで過ごしていれば平和です。

 「イイカッコしよう」「意義のあることしよう」などと

向きに頑張ったりするから、余計なことをしたりして、却っ

ておかしくなってしまう。


 だいたい、何が「イイこと」か、何が「意義あること」か

なんて誰も知らないじゃないですか。そういうことを言った

りやったりする本人が、「自分は他人とは違うんだ!」と思

いたいだけのことでしょう(『語るに落ちる』か・・)。本

当に世の中に必要で意義のあることなら、誰も何も言わずと

も、人々は黙って自然に行動するでしょう。災害の後始末を

する時のように。


 最近は、企業のトップなんかが、大きな会場で巨大なスク

リーンの前をウロウロしながら、商品や今後の事業展開など

のプレゼンテーションをしますが、ああいうのを見ると「よ

くまぁこんな大袈裟なことして恥ずかしくないなぁ。流行り

だからイヤイヤやってるのか、ナルシストなのか知らないけ

ど・・」などと思って、見ているこっちが恥ずかしくなる。

 それに、ライブやスポーツなどのイベントに参加(!)し

た人が、「勇気をもらった!」とか「パワーをもらった!」

とか言う。そのイベントをする側の歌手やアスリートなんか

も、「勇気を与えられたら」とか「パワーを持って帰っても

らいたい!」なんてことを口走る・・。どちらも言葉に酔っ

ているとしか思えないんですが・・・。


 ・・・なんて大袈裟なんだろう。

 一時、興奮して嬉しかっただけでしょう?

 「元気が出ました」という表現ぐらいで丁度いいと思う。

ああいう言葉を使いたがるというのは、“凄い事だったこと

したい” ”とても意義のある事だったことにしたい” とい

う思いの表れでしょう。

 ”生きてることの意味の分からなさ” に対する「焦り」や

「不安」が強いのだろうなと思う。


 大イベントをやるアスリートやスターや、それに参加する

人たちの大袈裟さに比べ、我らが角淳一は「平凡」で「なん

でもない事」に親しんで、その中の喜び楽しみを味わって行

く・・。


 あの、背が低くて、脚も短い、近所の散髪屋のオッチャン

の様な人は、実はかなり凄い人です。

 こんなに持ち上げると嫌がるでしょうがね。


 「こんなしょうもないこと言いながら死んで行くんやろう

なぁ(笑)」(© 角 淳一 )


 それは、しあわせですよ。







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