2024年11月24日日曜日

梅田から逃げ帰る

 
 
 昨日は用があってとても久しぶりに大阪の梅田へ出かけた。
 
20 ~ 30 年前は梅田にあるアウトドアショップなどへちょく
 
ちょく買い物に出かけたりして、それなりに土地勘が有ったの
 
だけど、十数年ぶりの梅田は想像以上に様変わりしていて、阪
 
神梅田駅から地上に出ると、ぐるりと高層ビルに取り囲まれて
 
いて自分がどこにいるのか見当もつかなかった😂
 
 スマホのナビを開いてみたが役には立たず、面白半分に5分
 
ほど迷走したところで JR 大阪駅の前に出たので、やっと自分
 
の位置が把握できた。で、無事に用事を済ませたところで、
 
「長居は無用」と一目散に神戸に帰った。
 
 
 神戸も都市ではあるけれど、大阪は平野部に拡がった大都市
 
なので、神戸とは違って人が360°あらゆる方向から行き来
 
するのでわけが分からない。そして長年都市的なものからある
 
程度距離を置きながら生きてきた私にとって、その街は異世界
 
だったし、そこを行き交う人たちも、自分とは違う世界に生き
 
ているとしか思えなかった。あそこで遊ぶエネルギーも資質も
 
いまの私には無い。私はもはやある意味で引きこもりなのだろ
 
う。
 
 
 都市の中で生活し、遊ぶことは、人の約束事の中で生きるこ
 
とを意味する。養老孟司先生が指摘するように、都市は人間の
 
アタマの中身を外へ出したものであり、人の約束事で作られ、
 
人の約束事でその機能が維持されている。私は人の約束事がメ
 
ンドウで仕方がない人間なので、あんなところには長く居られ
 
ない。20代のころならいざ知らず、いまとなっては都市のス
 
トーリーの中で遊んで楽しむなんて考えられない。
 
 たんに歳のせいかもしれないが、あそこには自分と同年代や
 
高齢者も沢山いたので、歳のせいだけでもないだろう。あのよ
 
うな場所は私が生きるところではないと、改めて実感した。
 
 
 もはや私はほとんど部外者だけど、それで良い。不足はな
 
い。残りの人生を穏当に生きられてもそんなに長くはないの
 
で、自分の身の丈に合った、飾らない、正味の自分で過ごした
 
方が良いのに決まっている。「三十六計逃げるに如かず」。
 
 
 そういえば、『求めない』を書いた加嶋祥造さんは、「逃げ
 
て逃げて、この伊那谷にたどり着いた」と自身の人生を振り
 
返っておられたし、『バックパッキング教書』の中でシェリダ
 
ン・アンダーソンは「人は都会を発明した時から都会から逃げ
 
出そうとしてきた。最善の方法は逃げ出しちゃうことである」
 
と書いている。
 
 
 都会は人間のアタマの中である。
 
 《 アタマが悪さをすることを「アタマが悪い」という 》
 
言い続けている私が、都会から逃げ帰ってくるのは至極当然な
 
ことだ。
 
 
 あそこで蠢く人々・・・。彼らの幸運を祈っておこう🙏
 
 
 (そういえば、今年も年末調整の書類を書く時期になった。
  ああ、面倒臭い・・・😭)
 
 
 
 

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