2024年11月26日火曜日

情報伝達物質か・・・

 
 
 前々回、梅田から逃げ帰った話を書いたけれど、あの日ビル
 
の谷間の底で、私は脳みその溝の中に居るようなイメージを
 
持った。
 
 
 立ち並ぶ高層ビルのそれぞれの部屋は脳細胞のようなもの
 
で、そのすべてに人が居て、そこで物やら情報やらをあっちへ
 
やったりこっちへやったりしているだろう。部屋の中で、部屋
 
から部屋へ、ビルからビルへ、街から街へ・・・、仕事であれ
 
遊びであれ、人が情報を運ぶために蠢いている。(物も情報の
 
一種と捉えておいて下さいね)
 
 都市という脳みその中で、人が情報をやり取りしているよう
 
に思っているけれど、実は人が情報に使われているのではない
 
のか?都市の中で、人は情報を背負わされ、情報を運ばされて
 
いるのでは?人はもはや情報伝達物質に成り下がっているのか
 
もしれない・・・。ビルの谷間を行き交う人々を見て、そんな
 
イメージが湧いた。
 
 
 人は手段と目的を取り違えることを得意としているけれど、
 
人が生きる「手段」であるはずの “都市” と “社会” の中で、い
 
つの間にやら、人が “都市”と “社会” の「手段」になってしま
 
 っているらしい。
 
 
 そうそう、西岡たかしの『じゃんじゃん町ぶるうす』の中に
 
こんな歌詞があった。
 
 
  ちょいと歩いてごらん梅田のあたり
 
  地下街入れば地獄がみえるよ
 
  お天道様も質屋に放り込んでよ
 
  悪魔の光の下で みんなうろうろ うろうろ 
 
  ちょいと歩いてごらん梅田のあたり
 
 
 これはもう50年前の曲だけど、今の梅田は地上でさえ地下
 
(谷底)になった。そしてうろうろ うろうろ・・・。
 
 
 これまでにも書いたけれど、 地獄というものはわたしたちの
 
アタマが作る。わたしたちのアタマの中に地獄はある。わたし
 
たちのアタマの中に本当のしあわせは無い。
 
 アタマの中身を外に出したものである都市にしあわせは有る
 
か?そこは飾られ、偽装された地獄かもしれないね。
 
 そんな目線で都市を見てみるのも面白いかもしれない。
 
 
 ちょいと歩いてごらん梅田のあたり・・・・
 
 
 
 

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