2024年11月25日月曜日

欠くること無し、余ること無し

 
 
 タイトルの言葉は、いまから1400年ほど前に中国で書か
 
れた、『信心銘』という禅を代表する書物からの言葉です。元
 
は漢文なので「無欠無余」と書かれていて、それを日本語的に
 
送り仮名を付けて読んである。要するにこの世界の状態のこと
 
です。
 
 「何も欠けていない。何も余っていない」 
 
 そりゃそうですよね。〈エネルギー保存の法則〉です。在る
 
ものはすべてある。当たり前の話ですが、その当たり前をわざ
 
わざ書き残さなければいけなかったということと、それが今で
 
も読まれて人をして考えさせるというのは、わたしたちが当た
 
り前のことを分かっていないということですね。当たり前のこ
 
となのになぜ分からないのでしょう?
 
 
 「無欠無余」。言い換えれば「完全無欠」ですけど、わたし
 
たちのアタマはこの世界の完全無欠が気に入らないようです。
 
 「こんなの完全無欠じゃない! 😤」とアタマは異議を唱え
 
るのですね。自分の筋書きと違うからです。でも、私が世界
 
だったら言うでしょう。
 
 
 「オマエ何様のつもり?勝手に妄想して、勝手に不機嫌に
 
なってるだけだろうが。勝手にするのが好きなら、勝手に不幸
 
になっていればいい。こっちはすべてそろえてやってるぞ。こ
 
の大バカ者め!」
 
 
 アタマはバカです。アタマが出しゃばる限り、問題は絶えま
 
せん。問題とは自分を取り巻く状況に「欠け」と「余り」 を見
 
てしまうことで、それはアタマの得意技ですからね。
 
 
 世界は完全無欠。欠くること無し、余ること無し。
 
  アタマがバカなのも、そういう風にできているのだから、そ
 
れはそれで完全無欠の一部。 バカなりに可愛いという見方もで
 
きるでしょう。
 
 
 世界の完全無欠性に思いを馳せれば言葉を失う。だって、言
 
葉は分ける働きだから、完全無欠の中に言葉は入れない。
 
 言葉を失って、ただただ世界を感じ取るとき、わたしたちも
 
完全無欠の一部になっている・・・。
 
 
 「う~~~~~む・・・・」
 
 
 言葉の出る幕じゃない・・・・・・・・・
 
 
 
 

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