「いまを生きる」とか、“Here - Now” とか、スピリチュア
ル系のお話しではよくそういう表現が使われる。このブログで
もそんな感じのことはよく書いてきた。ところが、今日ふとこ
う思った。「わたしが “いま” を生きてるんじゃなくて、“い
ま” がわたしを生きているのかな?」。
よくわからない話ですよね。ただの言葉遊びのようにも思い
ますが、なにやらとても大切な思い付きのような気がするので
す。
ずいぶん前に《 永遠とは、この “瞬間” が全宇宙に拡がって
いること 》と書きましたけど(『〈永遠の生命〉をさしあげま
す』2017/9)、いまこの瞬間、全宇宙が “いま” です。それは
間違いありません。そして次の瞬間もやはり “いま” です。い
まは永遠に “いま” で、宇宙は永遠に “いま” です。宇宙には
“いま” しか存在しません。
そんな話をして、それが何なんだということですけど、べつ
になんでもありません。「ちょっとこのフィーリングを伝えら
れないかなぁ」という気分なんです。いまどきの言い方なら
「共有」ですけど、自分を “いま” に溶かし込んでしまうよう
な感覚を味わってもらえないだろうかと・・・。
この命の活動・存在の主体は “いま” である。ただ “いま” が
命としてここに現れている・・・。そういうフィーリングを持
つことはとてつもなく豊かな在り方です。ほとんど完璧に無敵
です。
“いま” が生きている。
一種の呪文だと思ってもらっていいでしょう。
自分の手のひらでも、部屋の壁でも、なんでもいいから見つ
めながらつぶやいてみて下さい。
“いま” が生きている 🌷
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