昨日 You Tube のおすすめに尺八の動画が出てき
た。これまで特に尺八に興味を持ったことはなかった
けど、サムネの白黒の古そうなレコードジャケットに
ひかれて再生してみたのだが、聴いて驚いた。60年前
の、西村虚空という人の演奏だったが、いままで聴い
たことが無いような尺八の音で、聞き入ってしまっ
た。
曲ではあるけど、もはや音楽という代物ではない。
もちろん形を成していないということではなく、何か
次元が違う。尺八という楽器を使って瞑想しているよ
うに感じた。
というわけで改めて尺八について調べてみた。
尺八といえば深編笠をかぶった虚無僧である。虚無
僧は禅宗のひとつの普化宗の僧だということまでは私
も知っていたが、尺八を吹くのは修行の一つだという
ことらしい。なるほど、瞑想のような感じがしたわけ
だ。(『虚鐸 普化宗本曲』という LP がフルで
You Tube に上がってるので、おすすめしておく。)
普化宗というのは 普化 という禅僧が開祖とされて
いて、余語翠巖老師の本で少し知識はあった。
この 普化 という僧は謎の人物で、わずかな伝説の
ような逸話が残っているだけだそうだ。生没年も本名
もわからない風狂の僧ということになっている。
教えのようなものも残っていないそうで、鈴を鳴ら
しながら「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打・・」と唱え
て歩いたとされている。
この「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」という言葉は
なんとなく読み過ごしていたけど、今回尺八を聴いた
ことをキッカケにあらためて考えてみた。
この場合の「打」は、「打す(たす)」ということ
で、余語老師によれば「そのままにしておくという意
味合いだそうだ。英語の“be”と同じようなものだと
思う。そう考えれば全体の字面からおのずと分かって
くる。ようするに“Let it be”だ。
「なぁ〜んだ😄」という感じもするが、“Let it
be" と本気で肚を括れたらしあわせだ。
「打す」というと「自分がそうする」という受け止
めになるけれど、「打される」ということでもあるだ
ろう。「自分が(この世界から)そのようにされる」
と。
さだめに従って行くというより、自分という存在が
あることも含めて、さだめ以外何もない。そう覚悟が
できればもう迷いは無くなる。
Speaking words of wisdom,let it be
この“wisdom”は普化禅師のことかもね。
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