2026年4月12日日曜日

のらりくらり

 
 
 
 前回ブログを書書き終えて、〈公開〉のボタンをポ
 
チッとして画面が切り替わったら、投稿の件数が901
 
になっていた。
 
 へぇ〜〜、と我ながら感心する。よくまあ口から出
 
まかせを900回も書いてきたもんだ。「継続は力な
 
り」という慣用句があるけど、このブログには力など
 
無かろう。「継続はなりゆきなり」というのが実情を
 
表していると思う。ただ、私は“なりゆき”というも
 
のをとても大事に考えているので、ほのかな自慢のよ
 
うな気持ちも無いではない・・・こんな、のらりくら
 
りとした言い回しは嫌われるかもしれないけれど、自
 
分に正直に表現するとこうなってしまう。
 
 
 思うに、“なりゆき”も大事だと思うけど、“のら
 
りくらり”も重要だ。ものごとをハッキリさせずに受
 
け止めたり、受け流したりしていくことは、生き方の
 
根本技法とでもいうものではないだろうか。
 
 世の中というものは、とかく「白黒付けろ!」と圧
 
をかけてくるものだ。◯か✕か二者択一を迫る。しか
 
し物事はそんなに単純じゃないのが当たり前だ。いろ
 
いろと複雑なのが普通だが、複雑なまま抱えていると
 
しんどくて気持ちも悪いものだから、それが嫌なので
 
人は物事を単純に決め付けたがる。答えなんて無いこ
 
とにまで「答えを出せ!」と迫ってきたりもする。世
 
の中と、世の中にどっぷり浸っている人間には、曖昧
 
さをそのままにする精神的体力が欠けている。

 
 そういう世の中で狂わされずに生きていこうとする
 
なら、“のらりくらり”は必須の技法だ。まともに世
 
の中と関わると、◯か✕かの戦いと防衛にエネルギー
 
を費やして疲弊してしまう。下手をすると飲み込まれ
 
て食い物にされてしまう。命が削られないように、上
 
手にかわしながら生きていく方が身のためだ。 
 
 けれど“のらりくらり”は嫌われる。“のらりくら
 
り”の対応は「実は正解なんか無い」と示唆するの
 
で、正解が有ることにしたい連中は怒りだす。
 
 
 「ズルいだろう!」 
 
 “のらりくらり”とする人にはそういう非難も向け
 
られる。しかし、正解の無いことに正解があるかのよ
 
うな態度を取るのは、やはりズルいだろう。ズルいと
 
言うのに語弊があるなのらズボラと言ってもいい。途
 
中で分かったことにして止めてしまうのだから。
 
 正直に、緻密に、世の中や人のことを考えて生きる
 
と、“のらりくらり”とならざるを得ないはずだ。
 
 「こんなに複雑怪奇なのに、何も結論出ないわ」
 
 そう思うはずだ。
 
 
 このブログでは、言い切るということは少ない。あ
 
るとしても、さしあたりそう考えているということで
 
しかない。《 「正しい」とは、そういうことにして
 
おけば気が済むということ 》でしかないと、常に意
 
識している。
 
 できることなら“のらりくらり”から“するりさら
 
り”という感じへ、バージョンアップできればカッコ
 
いいとは思うけれど、まぁそれもケースバイケースな
 
んだろう。 
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿