2026年4月16日木曜日

無力

 
 
 生きていると誰でも自分の無力さに心が折れそうに
 
なることがあるだろう。もしかしたら途轍もなく有能
 
で「そんなことを思ったことなどない」という人もい
 
るかもしれないが、たぶんその人はサイコパスだと思
 
う。できると踏んでいたことや、不安ながらもやらざ
 
るを得ないことに行き詰まり、挫折することは誰しも
 
が経験する。
 
 
 「自分には力が無い」
 
 
 そのように挫折するとき、自分の無力さを認めて、
 
「無の力」に自分を預ければ楽になる。
 
 「自分がやる」「自分がしなければ」と拳を握りし
 
めるような思いを手放して「無の力」に従う。
 
 
 『無・責任』(2024/4/14)『無心に・・・』
 
(2024/3/25)という話を書いたこともあるけれど、
 
わたしたちは〈無〉に動かされている。わたしたちだ
 
けでなく、この世界のすべてが〈無〉に動かされてい
 
る。人の思考や、そこに形作られる意味には収まらな
 
い働きによって動かされている。思考も意味も無い働
 
きだから〈無〉と呼ぶのがふさわしいような力に。
 
 
 考え、意味付けして、何かを成し遂げようとして行
 
き詰まるなら、考えと意味付けを手放してみるべき
 
だ。そのとき「無の力」が表に出て働き始める。
 
 もちろん、その働きの結果は当初目的にしていたも
 
のにはならない。想像すらしなかった所へたどり着く
 
ことになるかもしれない。けれど、必ず“落ち着き”
 
へと着地するだろう。人を落ち着かせなくするのは、
 
わたしたちの、考え、意味付けだからだ。
 
 
 社会やアタマの求めるもののために、自分の落ち着
 
きを犠牲にするのは良い取り引きではないだろう。
 
 生まれた時から、アタマの右往左往の背後で「無の
 
力」が自分を支えて来た。それは謙虚に振り返れば自
 
明のことだ(そのはずだが・・・)。 
 
 
 自分(アタマ)は無力
 
 無力(無の力)こそが自分
 
 
 
 
 
  

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