タイトルに「さようなら」などと書いてあると、
「もうこのブログやめるのかな」と思われそうですけ
ど、そういうことではありません。「さようなら」の
意味を少しイジってみようと思いついたのです。
本来「さようなら」はその言葉自体が別れの言葉で
はなくて、別れの言葉の前に付いていました。
「左様ならば、これにておいとまいたします」の後
半部分が省略されて、「左様なら」だけで別れ告げる
言葉になったものです。ですから、別れを切り出す側
が使うのが本来で、相手側に別れを切り出させた側は
「御免」などと応じるのが言葉の意に叶っています。
まあ、こんなことは多くの人が知っているでしょう
けれど、それを踏まえた上で、話はここからです。
「左様ならば」
いまの言葉なら「そういうことならば」ですけど、
これは相手側の事情、都合を受け入れる態度ですね。
その事情を受け入れて、いま以上の関わりを停止する
わけですが、なにも別れのあいさつだけに限定しなく
ても、あらゆる事柄に対して「さようなら(そういう
ことなら)」と告げるのは、かなり人を落ち着かせる
のではないでしょうか。
自分の希望や想定にそぐわないことに対して、その
事自体に「さようなら」と告げる。そのように使うの
なら、「さようなら」は執着から自分を開放するため
の、良いツールになるように思います。
いつだったか白隠のエピソードを書いたことがあっ
たと思います。
濡れ衣を着せられ、誤解された白隠が、何も弁明も
せずに「ほう、そうか」と受け入れていくことで、か
えって誤解が解けていく話ですけど、その「ほう、そ
うか」と同じことですね。「そうか」は「左様です
か」ですからね。
誰にでも事情がある。
事情にも事情がある。
その事情を、自分の側の事情で書き換えようとする
と、衝突が起こる。もちろん、衝突してでも自分の側
の事情を優先しなければならないことはある。けれ
ど、わたしたちは大抵、大したこともない事情にこだ
わって物事を面倒にしてしまう。アタマが悪い。
自分の事情が通らない物事に「さようなら」と言う。
自分の大したこともない事情にも「さようなら」と言
う。
「左様ならば、致し方御座いませぬな」
昔の言葉は丁寧なものです。大事なことがちゃんと
言葉になっています。「致し方」(対応策)が無いの
です。だから「これにておいとま致します」と。
「いとま」は「暇」ですから、「ブランク」であり
「ニュートラル」と言えますね。「さようなら」と
言って、自分をニュートラルな立場に置く・・・とて
も知性的な態度ですね。
自分の暮らしの中に「さようなら」と言えない事が
本当はどれだけあるのか?
本当は見過ごしていいことを掴まえて、自分を疲れ
させているだけ・・・。わたしたちのやっていること
の大半はそういうことでしょう。ご苦労さんなことで
す。
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