2017年4月17日月曜日

許すか・逃げるか・戦うか


 《 問題の対処法は三つしかない

    「許す」か「逃げる」か「戦う」か 》



 前回と前々回、死にたいほどの大問題をどうするか?とい

った事を書きましたが、実はどんな問題であっても、その対

処法は三つしかありません。

 「許す」か「逃げる」か「戦う」かです。

 そして、どの方法を採るにしても、完璧にやらなければな

りません。



 「戦う」のであれば、相手(人に限らず)が二度と再び立

ち上がることが出来ないように、完全に叩き伏せなければな

りません。

 「逃げる」のであれば、相手が絶対に追って来られないよ

うに、完全に逃げ切らなければなりません。

 「許す」のであれば、相手(または、その行為)への批判

を完全に止めなければなりません。

 どの方法であれ、中途半端にやっては禍根を残すことにな

ります。



 では、この三つの中で、どの方法が良いのでしょうか?

 まぁ、ケース バイ ケースでしょうけど、お奨めは

「許す」という方法でしょう。なぜなら、他の「戦う」「逃

げる」は凄くエネルギーが必要で、コスパが悪いんですね。

 「戦う」場合、わざわざ考えてみなくても、一番エネルギ

ーが必要そうだと感じるんではないでしょうか。

 もちろん「戦う」しかない状況はありますから、そんな時

は全力で戦うわけですが、避けられるのなら、避けた方が良

いでしょう。

 誰でも、何度となく戦って来たことでしょう。

 大変でしょ? 相手は、あの手この手で反撃して来るし、

一旦ねじ伏せて勝ったつもりでいたら後で復活して来たり、

予想外の敵が横から現れたり、アンフェアなやり方で攻撃し

て自己嫌悪をすることになったり・・・。そうたやすく、完

全に決着をつけることは出来ません。戦って勝利することは

本当に大変なんです。

 では、「逃げる」のは? 



 「逃げる」という行為は、今まで自分が居た場所を後にす

ることになるわけですが、例えば離婚をした場合、生活の基

盤がまったく変わってしまうことになるので、その建て直し

には大変なパワーが必要です。また、相手は執拗に追いかけ

て来るかも知れず、安住出来るのが何時になるのか分かりま

せん。それに、「逃げる」とは言葉を換えれば「逃亡」です

から、後に汚名を残すことに成りかねず、それに耐えるか、

気にしない度量が必要です。(もちろん、殺されそうになっ

た時は逃げて下さい)



 そして「許す」ですが、「許す」ことで変化を受け入れる

必要がでてくることがありますが、その為のエネルギーは

「戦う」「逃げる」に較べれば少ないものです(「許す」こ

とが出来ない場合に「戦う」「逃げる」必要があるわけです

から)。「許す」こと自体にはエネルギーは要りません。具

体的なアクションを必要としませんから。

 「許す」ことは自分の意識の変更だけなので、その気にな

りさえすれば、その時・その場所で決着がつき、その都度ご

とに完結します(ホントに許せばですが・・)。



 「許す」は、とてもコスパに優れた問題解決の方法です。

 しかし、人は「許す」ことをあまり望みません。

 「許す」と自分を否定するような気がするからです。

 相手(問題)を「許す」ことは、相手を肯定すること。

 相手を肯定することは、自分を否定すること。

 そういう認識なんですね。



 でも、相手を肯定することは自分を否定することだとし

た場合、“相手の言葉やその時の状況で否定されてしまう程度

のものを「自分」としている” ということになりますよね。

その程度のものが「自分」でいいんでしょうか? 「自分」

というものは、そんなに脆いものなんでしょうか? その

「自分」は本当に「自分」なんでしょうか?

 それは勘違いですね。

 ほんとは自分じゃないものを「自分」として、問題を作り

出している。それがわたしたちの活動のほとんどです。


 「許す」=「肯定」ではありませんし、「肯定」出来なく

ても、「許す」ことはできます。「許す」というのは、「肯

定」も「否定」も含んでしまう在り方です。

 「許す」ことは、問題とは違う次元に立つことです。 

 勘違いで設定してしまった「自分」と「相手」の在り方に

翻弄されている状況から離れて、俯瞰するというような立ち

位置に移動することです。


 「許す」ことをお奨めします。

 まずは、自分自身を・・。




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