2017年4月18日火曜日
知ろうとすることは・・・
《 すべての出来事はキノコのようなもので
突然立ち現われて驚かされるが
気付かぬうちに菌糸が廻っているのだ 》
わたしたちは、突然の出来事に驚かされることがよくあ
る。プライベートな事でも、社会の出来事や自然災害でも、
「なぜだ!」と声を上げ、あせったり、うろたえたりする。
彼女に振られたり、ダンナが「離婚したい」と言い出した
り。繁華街で刃物を持った男が暴れ廻ったり、火山の噴火や
地震・竜巻。
これらの事は、突然わたしたちの身に降りかかって来ま
す。しかし、「突然」に見えるだけで、わたしたちには気付
けないところで、それが起こるプロセスは進んでいるので
す。まるでキノコの菌糸が、土の中や枯れ木の中でいつの間
にか広がり、ある日、蓄えられた養分と温度・湿度の条件が
マッチした時、いっきに伸びて、傘を広げる様に。
この見えない所で起きているプロセスは、どんなに努力を
しても完全に知ることは出来ません。 言わば、神の領域で
す。
ところが、そんなにも複雑な事なのにもかかわらず、わた
したちはショッキングな事件が起きると、すぐに原因・理由
を知りたがります。
殺人事件が起きれば、「動機はなんだ!」とか。
列車事故でも起きれば、「早急に原因の追究を!]とか騒
いだりする。
そりゃぁ、調べれば何がしかの答えは得られるでしょう
し、列車事故の場合、部品の欠陥・整備不良なんかが見つか
って、安全性が向上することもあるでしょう。
しかし、直近の目立つ事柄が原因とされるだけで、その原
因にも、そのまた原因があり、その原因にもさらなる原因が
あって、遡ればキリが無いので、分かりやすいところで打ち
止めとなります。その為、改善したはずなのに、似たような
原因で再び事故が起こります。
殺人事件などに至っては、犯人に動機を問い正したところ
で、本人にだって表面的な理由しか解らないでしょう。徒労
だとしか思えませんけどね。本人の考えより、それを取り巻
く状況と、生い立ちに目を向けることに力を入れる方が、ま
だマシだと思いますね。
「事件」と言えるような大きな事柄から、日常の些細な事
まで、すべての事は起こるべくして、起こる。
“天文学的に複雑なドミノ倒し”とでもいうようなもので、
あるピースが、いつ、どの様に倒れるかは、分からないが必
然です。そして、そのドミノ倒しの始まりは、“天文学的に
~”と言う通り、宇宙が誕生した時です。《世界は惰性で動
いている》と前に書きましたが、すべては必然です。人間に
は、おあいにくさまですが。
すべては必然ですが、その詳細は知るすべもありません。
すべては何故だかハッキリしなくて、わたしたちは不安にな
ります。
そのままでは居たたまれないので、わたしたちは理由を知
りたがります。しかし、いくら知っても心の底から納得出来
る時は来ません。来るはずがありません。
《 理由を知ろうとすることは
無限に続く失望と不安です 》
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