2017年4月2日日曜日

結婚しても幸せになる方法

 今回は、結婚についてですが、

  《 そもそも、結婚は人間に向いていません 》

 あら、まあ、なんてことを言うんでしようか。

 ほんとにこの人はひねくれた事ばかり言って。かなり性格

が悪いんじゃない?そんな風に言われそうな気がしますが、

私はとても素直な人間だと、自分では思っています。素直な

ので、様々な出来事や言葉に違和感を感じた時に、その違和

感を素直に受け止めて、「これは何だろう?」と、ごく自然

に考え始めるんです。その態度を見た周りの人から、「ひね

くれてる」「ああ言えば、こう言う」などと揶揄されたりし

ます。

 私から見れば、周りの方が不思議です。違和感を感じない

のか、違和感を無視するのかは知りませんが、「よく、まあ

こんな事が平気でいられるなぁ」とか「なんで、こんな事を

疑いもせず受け入れられるのだろう」などと思うことが、し

ょっちゅうあります。結婚もそうです。

 「結婚おめでとう!」「おしあわせに!」

 人が結婚すると、大抵の人がこんなセリフを反射的に言い

ますが、何故こんなことを平気で言えるのか、気がしれませ

ん。
 
 「そう言うもんだから」というだけで、なにも考えずに

こんなことが言えるなんて、信じられません。思いやりが無

いとしか言えません。


 だってね、そこら中で離婚しまくってるし、嫁やダンナの

文句ばっかり言ってるんだから、結婚が良いものとは限らな

いって誰でもわかるでしょ? なのに相も変わらずに「結婚

オメデトー!」ですよ。 私は呆れ返っています。

 本気で結婚しろよ! 本気で人の結婚を思ってやれよ! 

ほんとに。



 「好きだから」「淋しいから」って理由だけで、結婚して

いいと思ってんじゃねーよ。という立場なんです。私は。

 だって、結婚は人間に向いてないんですから。(やっと話

が始まるようです)


 何故、結婚は人間に向いていないかというと、人間はみん

な自己中心的だからです。自分が一番大切なのです。例外は

ありません。

 「いやいや、世の中には献身的に他人に尽くす人もいる

し、母親は大抵自分より子供を大事にするもんだ」

 そんな反論がありそうですが、献身する人は、献身したい

から献身するのです。“献身したい”という欲求を果たしてい

るので、結局は自分の為なのです。(「この、ひねくれ者

ー!」って、いま思ったでしょ。😄 )



 また、母親が子供を大事にするのは、子供が“自分の分

身”または“延長”であって、自分だと感じているからです

が、この感覚もどうも社会的な要素が大きい様で、しばしば

我が子を殺める母親が現れてしまいますし、我が子を自分の

欲求の為に利用する母親もよく居ます。(“良い学校・良い

会社”に入れたがるのは母親本人の見栄だったりするのは、

ごく普通ですね)

 ことほど左様に、人は自己中心です。

 自己中心ですから、結婚したとしても、まず自分優先とな

ります。つまり、自分と配偶者との間で見解の相違があった

場合、自分の都合・主張を通そうとします。その結果、不

満・恨み・疑い・失望・悲嘆などが生まれます。そして、ケ

ンカ・駆け引き・騙し合い・殺し合い(!)が始まります。

恐ろしいですねぇ~。


 程度の差こそあれ、これが結婚一般の在り様です(ちょっ

と極端ですか?)。離婚の理由として、「性格の不一致」だ

とか「価値観の違い」だとか言ったりしますが、別の人間な

んだから「性格」や「価値観」が違うのは、当然の事であっ

て、結婚してからそんな事を言い出すなんて、何をか言わん

やです。
 
 こういう話が出てくるということは、結婚しても自分の

「性格」「価値観」を変えたくないと多くの人が考えている

証拠です。相手に合わせたくないのです。



 ねっ!自己中心的でしょ!

 とは言うものの、「性格」「価値観」を変えるのは、並大

抵のことではありません。というより、まず変えられませ

ん。この場合、相手に合わせる器量を身に付けるということ

ですね。しかし、相手に合わせるのは、自分を殺す事になる

ので、誰もが嫌がります。だから「性格の不一致」。そして

「離婚」。


 結婚って何だと思っているのでしょう? ろくに考えてい

ないんでしょうね。



 そういった手合いに、こう伝えたいですね。


  《 結婚は自分の為にしてはいけません 》


 多くの人が「自分がしあわせになりたい」「この結婚は自

分のしあわせにつながっている」なんて思って結婚するので

しょう。自分の為に結婚するのですね。しかし、結婚は自分

の為にするものではありません。改めて言いますが、お互い

が自分の為に結婚すれば、自分のしあわせを主張し、優先し

ようとするので、衝突は必至です。そうではないんです。

 まず、相手のしあわせを優先し尊重するのです。自分のし

あわせは後回しにするのです。相手がしあわせになって、そ

の後にまだ余裕があれば、自分のしあわせを考えるのです。

 「そんなことを言って、いつまでも自分のしあわせを考え

る時が来なければどうするんだ。自分はいつしあわせになっ

たらいいんだ」そう思うかも知れませが、大丈夫です。自分

のしあわせは、相手が考えてくれることになってます。

 それに、“相手のしあわせ”が目的であれば、相手がしあわ

せになった時点で、自分の目的が叶うのですから、それで満

足なはずです。要するに“相手のしあわせ”が“自分のしあわ

せ”になるのです。


 「綺麗ごとを言うな!」って?

 綺麗かどうかなんて関係ないんです。その様にしなければ

“結婚してしあわせになる”ことは出来ないというだけです。

 もともと赤の他人で、「性格」も「価値観」も違うふたり

が、一緒に生きて行こうとするのです。それ相当の覚悟が必

要なのは当然なんです。ところが、いまどき誰がそんな覚悟

の上で結婚するでしょう?(いまどきに限ったことでもない

でしょうが) そんなこと思いもせずに、その時の気分や打

算で結婚するから、ゴタゴタを起こす事になるのです。


 もしも、お互いが自分のことは二の次にして、相手のしあ

わせを思い合いながら生きるなら、どうなるか?

 どうなると思います?


 お互いに自分の事は二の次です。

 相手の望みが目的なんです。ですが、相手には自分の望み

はありません。だって、相手の望みはこちらの望みが叶う事

ですから。そうなると、お互いにすることがありません。何

の気遣いも要りません。そのままで、なにもしなくても、お

互いに満足でいられます。お互いが、お互いを思い合うこと

で、なにもせずともしあわせに居られることになるんです。

 何という美しい話でしょうか!


 と、理屈の上ではそうなるんですが、まぁ、そんなことが

起こるのは、ごくごく稀な話で、奇跡のような事です。

 でも、そうすべきなんです。

 そうしなければ、待っているのは、ケンカ・駆け引き・騙

し合い・殺し合いです。(恐いですねぇ~。やっぱり)

 困難でも、綺麗ごとでも、そうするべきなんです。

 結婚するなら、その覚悟が必要なんです。

 そんな覚悟が必要になる程、結婚は人間に向いていないん

です。


 “自分の事は二の次にして、まず相手のしあわせを考える”

 それが、結婚してもしあわせになる方法です。


 とまあ、こんなことを書いてくると、「それじゃぁ、結婚

するメリットなんか無いじゃない。なんのための結婚なの」

って話になるんでしょうが、結婚の良い所は、“自分の事は

二の次にする”・“相手に合わせる”ことで、自分が変わるの

です。自分の新しい局面が開けて、自分の幅が広がるので

す。

 《 そもそも結婚は人間に向いていません 》

 そんなことを言う私を、結婚否定派だと思ったかも知れま

せんが、そうではないんです。

 覚悟を決めて、自分は二の次にして生きる事で、しあわせ

になり、自分の幅も広がり、成長できる。

 結婚とは、良いものです。

 覚悟さえ出来れば・・・。の話ですが。


 もし、結婚したくなった時、「この人の為に、自分の人生

を棒に振ってもイイや!」と思えるなら、その結婚は良いも

のになるのだろうと思います。




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