「機嫌良く生きないなら、死ねばいい」と前回書いてから
「子供は別ですよ」と但し書きをしたのですが、
「機嫌良くなんて出来ない・・・。死にたい・・・」
という子たちが実際にいるわけで、「そこは、なんとかしな
いとなぁ」と後で思ったわけなんですが、当然のことながら
わたしになんとか出来る訳もないのです。
出来る訳もないのですが、「出来ることはしておこう」
と・・。ほんとに辛い思いをしている子に、何か手助けにな
る言葉を探してみたいと思います。縁が繋がることを祈りな
がら・・。
「なにか手助けになる言葉を・・・」などと書いてはみた
ものの、溜め息が出るだけで、やっぱり何も出て来ません。
いじめ・虐待・貧困・コンプレックス・・。
特に、十歳にもならない子供たちに、どこかのオヤジがブ
ログに書く言葉が役に立つ訳もありません。
考えた挙句に出て来た言葉が、「逃げちゃえ!」というこ
とだけです。
周りのおとなの中で、一番信頼できそうな人に「助け
て!」って言って、飛び込んで行くしかない。それでだめな
ら次の人に、それでもだめなら、また次の人に・・・。
学校の先生・親戚・交番のおまわりさん・近所のおばさ
ん、おじさん・・・だれでもいい、苦しい時に顔が浮かぶ人
なら、手当たり次第に飛び込めばいい。必ず手を貸してくれ
る人がいる。その人がなんとか出来なければ、何とかできる
人を探してくれる。そういう事では、世の中はそんなに捨て
たもんじゃない。
今、自分を苦しめている人や事に、何も構う必要はない。
なんの遠慮も要らない。後の事は何も考えなくていい。今、
自分を苦しめている事は、100%悪い事。自分は1%も悪く
ない。そう思って間違いじゃない。自信を持って「逃げちゃ
え」ばいい。それでいい。それしかない。
と、ここまで書いて、なんと虚しいことか・・・。
ほんとに、どうにもならない。どうしようもない。
世の中との繋がりを持たない子供たちには、誰の手も届か
ない。わたしには祈ることぐらいしか出来ない・・・。
昔、松尾芭蕉が旅をしている途中に、捨て子に出会ったそ
うです。その時、芭蕉は子供をそのままにして、
《 おのが命(さだめ)の拙さを 泣け 》
と詠んで、立ち去ったそうなんですが・・・。
時代背景もあるでしょうが、冷たい話ですね。
しかし、芭蕉が拾うことが良いのかどうか分からないので
す。その時の芭蕉は旅人です。後で他の人に拾われて、良く
なったかもしれない。あるいは、そのまま死んでしまったか
もしれない。いずれにしても、芭蕉は生涯この事を忘れはし
なかっただろうし、大なり小なり、死ぬまで負い目を持って
生きたことでしょう。
どうしようもない事は、どうしようもないんだ。
めぐり合わせによっては、自分が想像も出来ないような局
面に飛び込んで、人の為に尽くすこともあるでしょう。
しかし、どんな思いがあったとしても、大抵わたしたちに
大した事は出来ません。
自分の意欲・能力・状況の全てが合わなければ、何も出来
ないのです。("縁”というものですね。)
どうにかならないものでしょうか?
どうにもならないんですね・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・私は、なにをグダグダ書いているのでしょう・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
丸一日経ちました。
前言撤回。
「子供は別」ではありません。
《 機嫌良く生きられないなら、死んでいいです 》
小さい子は、自分でしあわせになれません。
ですから、しあわせになれなくて、あまりにも辛すぎて死
んでしまうのなら、死んでいいです。自殺にせよ殺されるに
せよ、それは自分のせいではありません。周りの大人のせい
です。
死んで、周りの大人たちに、一生下ろすことの出来ない負
い目を持たせればいいのです。
私は、自分の無力を噛みしめて、黙って泣くことにしま
す。
ただ、このブログを観る可能性がある歳の子たちの為に
は、話せることがある。 それは、この次に。
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