2017年4月19日水曜日

人は皆、依存症。

  《 理由を知ろうとすることは

      無限に続く失望と不安です 》


 《 理由を知ろうとすることは、無限に続く失望と不安で

す 》けれど、好奇心を刺激する事柄であるうちは、知ろう

とすることも快楽となります。

 この事が、人間の文化を発展させて来ました。

 私が、今、こうやってブログを書いているのも、人間が好

奇心を持って知ろうとして来た結果と言えます。



 なのですが、好奇心を持って知ろうとする事は、知的な快

楽を求めることで、快楽を求める行為は、けっこう簡単に依

存状態を作り出してしまいます。“知的依存症”と呼べる状態

になるんですね。



 “知的依存症”には、歴史・博物・科学・数学(論理学)・

芸術・言語ループ(おしゃべり・活字中毒)の六つのジャン

ルがありますが(この六つでカバーできると思いますが)。

この中で“芸術”を除く五つは、一言で言うと「ストーリー

(物語)」です。



 人間は「ストーリー」が大好きです。依存症になるぐら

い。 いや、普通の人間は、「ストーリー」に依存しなけれ

ば生きられないと言っても、間違いではないでしょうね。

 人が物を考えるという行為は、「ストーリー」を組み立て

る作業と言えます。



 “「ある条件」のもとで「ある結果」が出る。”

人の思考はすべてこれで、「ストーリー」を作る作業です。

 人が意識を持ち、思考する限り、この依存から逃れること

は出来ません。これからはみ出すことは、即、“狂気”です。

 「ストーリー」の無い話を真顔で話す人がいたら、「この

人、狂ってる・・・」と思いますよね。

 それと、芸術作品には「なんだこれ?」と思わせるものが

沢山ありますよね? “芸術”は知的活動と情動(無意識の衝

動)の狭間で行われる行為なので、「よくわからない。(ス

トーリーが掴めない)」「・・・。(ストーリーが無い)」

ということになるんですね。岡本太郎が「芸術は爆発だ!」

と言ったのは、「芸術はストーリーの破壊だ!」ということ

ですね。だから“芸術”は別なんです。(「良くわかる!」と

いう芸術作品は、“ゴミ”ということですね。一方で「何が何

だかわからない。感動も無い。」という作品は、ただ単に

「狂ってる」だけなのかも・・・)



 人は「ストーリー」がなければ狂気に陥ってしまうので、

「ストーリー」を持てば持つほど(創れば創るほど)、安定

感を持ちます。それは、快感であり、無くてはならないもの

となり、「ストーリー」を持つこと(創ること)を邪魔され

ると、非常に不機嫌になります。自分の話(ストーリー)に

反論されると、腹が立つのはそういうことですね。



 人には、それぞれに「自分のストーリー」があり。それに

依存しているんですが、「ストーリー」を持つこと、つまり

「知ろうとすること」は、快楽(喜び)をもたらす一方で、

違う「ストーリー」を持つ他者との間で、すぐにゴタゴタを

生み出してしまいます。だって「ストーリー」は、”それぞ

れ”なんですから、A氏とB氏では話が合わなくても当たり

前ですよね。ですから「知ろうとすること」は、好奇心を満

たす範囲からたやすくはみ出して、人を(「ストーリー」の

否定による)「失望」や「不安」に導いてしまう事になりま

す。


 「ストーリー」を持たなければ、即、“狂気”だ。と言いま

したが、「ストーリー」を持つことは“依存”ですから、云わ

ば“病気”ですよね。

 “狂気”か“病気”ですよ!

 どうしたもんでしょう?

 でもまぁ、“狂気”より“病気”の方がましでしょうね。
 

 この世の中は、“病気”の人が集まって出来ていることにな

ります。

 それぞれが、それぞれの“依存症”に引き摺られたやり方で

人と関わって、その結果で世の中が動いているので、ろくで

もない事やバカな事が日々繰り返されるんですね。くどいで

すが、ほんとにビョーキです。正気じゃないね。


 「じゃぁ、アンタは『考えるな』と言うのか!」

 そんな、声が聞こえて来そうですが、考えないわけにはい

きませんね。

 《 「考えること」「知ろうとすること」は

         “依存症”であり、“病気”である 》

 ということを、常に意識しながら生きた方が、自分にも世

の中の為にも良いのではないかと・・・・・。
 


( というのが、今回私が組み立てた「ストーリー」です。

 ・・・・・「困ったもんだ」。)


 《 「正しい」とは

  そういうことにしておけば気が済むということ 》

 ホント、面倒くさいね。



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