《 結婚が何かをしてくれるのではありません
結婚に何をしてあげられるかなんです 》
結婚について、以前考えていた事を思い出したので、もう
一回結婚の話を。
当たり前の話なんですが、結婚しても“結婚”が何かをして
ところが、結婚願望のある人は、「“結婚”が何かをしてく
そもそも、結婚は人間に向いていませんから、結婚して、
一組の夫婦が(夫夫あるいは婦婦が・・・あ~ぁ!メンド
クセー! 男と男。女と女。別にそれでもいいけど、なん
・・・え~、一組の夫婦が一緒に生きて行く。そして、し
“結婚”のフタを開けても、“しあわせ”はセットに入ってい
“結婚”が何かをしてくれるわけではありません。
では、“結婚”には何の価値も無いのか?
価値が無いことはありません。
一つには、社会が、個人の繁殖活動や、それに伴う経済活
動を管理するのに、婚姻制度は便利だ(ホントに便利?)と
いうことがあります。
もう一つには、独身では出来ない、“家族の主催者”になる
一方、メリットはと言えば、自分に問題が起きた時に、助
では、その「喜びループ」を生むにはどうしたら良いか?
《 結婚に何がしてあげられるか? 》を考えるんです。
一種のイメージトレーニングというか、結婚に対するイメ
普通、“結婚”に対するイメージは「夫婦・家族の周りを
「良い結婚生活を作って行こう」というのは、当たり前の
そもそも結婚は人間に向いていませんから、身近に「結婚
当たり前の話なんですが、結婚しても“結婚”が何かをして
くれるわけではありませんよね。
“結婚”は言葉に過ぎません。
結婚しても、そこには一人の男と一人の女が居て、一緒に
暮らしていくだけです。(この頃は「男と男」「女と女」の
組み合わせも有りになってきた様ですが)
ところが、結婚願望のある人は、「“結婚”が何かをしてく
れる」、あるいは「“結婚”がしあわせにしてくれる」と思っ
ている場合が多いのではないか?
そもそも、結婚は人間に向いていませんから、結婚して、
しあわせになるのはなかなか大変です。
それなのに、わざわざ「結婚したい!」と思うからには、
「結婚は良いものだ」「結婚すればしあわせになれる」と考
えているのでしょう。
何故、「結婚すればしあわせになれる」と思うのでしょ
う?
マインドコントロールされているとしか言えませんね。
一組の夫婦が(夫夫あるいは婦婦が・・・あ~ぁ!メンド
クセー! 男と男。女と女。別にそれでもいいけど、なん
だっていちいち結婚したがるの? 「自由にすべき」だと思
ってるんなら、なんで“結婚”に縛られたがるんだよ? 男と
女の結婚で、充分にメンドウなんですけど?)・・・。
・・・え~、一組の夫婦が一緒に生きて行く。そして、し
あわせに暮らして行きたい。それならば、二人でしあわせに
居られる様に努めなければなりません。当たり前のことです
ね。それが、同棲だろうが、共棲だろうが、同居だろうが、
結婚だろうが、二人の人間が良い関係を保ちながら生きて行
こうとするのであれば、お互いがその為に努める必要がある
ことに変わりはありません。ところが、こと“結婚”に限って
は、「しあわせ」が標準装備であるかのような思い込みが、
根強く残っています。
“結婚”のフタを開けても、“しあわせ”はセットに入ってい
ません!
“結婚”が何かをしてくれるわけではありません。
“結婚”は、単なる言葉でしかありません。
では、“結婚”には何の価値も無いのか?
価値が無いことはありません。
一つには、社会が、個人の繁殖活動や、それに伴う経済活
動を管理するのに、婚姻制度は便利だ(ホントに便利?)と
いうことがあります。
もう一つには、独身では出来ない、“家族の主催者”になる
という経験(生き方)が出来る、ということがあります。
独身で生きるという事と、夫婦・家族で生きるというので
は、全く前提条件が違います。もちろん、家族を持つのが良
くて、独身が悪いなどと言うのではありません。それぞれ
に、良いところも悪いところもあります。
結婚して家族を持つデメリットは、夫婦・親子間で、衝
突・食い違い・その他の問題が起きた時、そう簡単には逃げ
だせない、ということです。独身なら、そもそも問題は起き
ようがありません。
一方、メリットはと言えば、自分に問題が起きた時に、助
けてもらえる可能性があることですね。独身なら、当然無い
ことですが、友達や親が助けてくれる可能性もあるので、こ
の部分にそれ程大きな差は無いでしょう。
独身のメリットとして最も大きいのは、言うまでもないで
すが、縛りが無いということですね。片や、結婚は縛りだら
けです。何が嬉しくて、そんな面倒なことに踏み込むのでし
ょう?
可能性は低いのですが、前に書いた様に、「相手の為に生
可能性は低いのですが、前に書いた様に、「相手の為に生
きる」ことが出来れば、相手の喜びが自分の喜びとなり、
自分の喜びが相手の喜びとなり、自分の喜びで相手が喜びを
持つと、その喜びがまた自分の喜びになって、「無限の喜び
ループ」が出来ることがあるわけです。
独身でも、友達との間などで「喜びループ」は可能でしょ
うが、やはり、夫婦・親子の関係と比べると、繋がりの時間
の長さと思い入れの深さは持ち難いでしょう。結婚の縛りの
強さの裏には、繋がりの強さという側面もありますからね。
「喜びループ」を生み出すのは、並大抵ではありません
が、不満たらたら「しくじったかなぁ・・」と思いつつ、長
い間結婚から逃げ出せずにいると、のっぴきならない大事に
巻き込まれてしまった時に、思いがけず相手との一体感を持
つ事になって、「喜びループ」を体験してしまうことがあり
ます。長く結婚していると、そういうラッキーもあります。
「昔は大変だったが、今では良かったと思う」と話す御高
齢の夫婦がそこそこ居るのは、そういうラッキーがあった
か、そもそも覚悟があったかでしょうね。
では、その「喜びループ」を生むにはどうしたら良いか?
《 結婚に何がしてあげられるか? 》を考えるんです。
一種のイメージトレーニングというか、結婚に対するイメ
ージを変えるんです。
普通、“結婚”に対するイメージは「夫婦・家族の周りを
“結婚”が包んでる」といった感じだろうと思います。これ
を、次の様に変えます。
「夫婦の間に“結婚”という子供ができた」
という風に考えます。 そして、
「“結婚”という子供が
『あなたたち二人の“結婚”になれて良かった!』
と思ってくれる様な暮らしを、作って行こう!」
ということを、目標に据えます。
二人で、良い結婚を作ろう。ということですね。
結婚が何かをしてくれるわけではありません。
一組の夫婦が、お互いの為に、良い結婚生活を作って行く
「夫婦の間に“結婚”という子供ができた」
という風に考えます。 そして、
「“結婚”という子供が
『あなたたち二人の“結婚”になれて良かった!』
と思ってくれる様な暮らしを、作って行こう!」
ということを、目標に据えます。
二人で、良い結婚を作ろう。ということですね。
結婚が何かをしてくれるわけではありません。
一組の夫婦が、お互いの為に、良い結婚生活を作って行く
のです。
「良い結婚生活を作って行こう」というのは、当たり前の
ことですが、その当たり前が、いつにまにか作り上げられた
結婚のイメージの陰に隠れてしまっています。
相手の為に、結婚するのです。
“結婚”の為に、結婚するのです。
自分の為に、結婚するのではありません。
“結婚”の為に、結婚するのです。
自分の為に、結婚するのではありません。
そもそも結婚は人間に向いていませんから、身近に「結婚
します」という者があると、私はこう言います。
「ひとまずは、“お幸せに”」
(「そんなこと言ったらダメですよっ!」と、二十代の女子
「ひとまずは、“お幸せに”」
(「そんなこと言ったらダメですよっ!」と、二十代の女子
に怒られましたが。 ハハハ! )
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