2017年4月20日木曜日

“過剰”こそ、悪である。

 《 過剰こそ、悪であり、過剰を生むのは欲である 》


 この世の中の問題を生み出す一番の要因は、人間の“アグ

レッシブさ”だと前回書きました。

 ”アグレッシブさ”が人間の持つ“衝動”を外に押し出し、そ

の“衝動”が大きくなればなるほど、問題が大きくなっていき

ます。

 例えば、タバコであれ酒であれ、少しの量を楽しむのであ

れば特に問題にはなりませんが、あまりにも取る量が増えす

ぎると身体を壊してしまいます。それが、たとえ水であって

も、取り過ぎれば問題になります。(一気に水を5Lも飲ま

されれば、具合が悪くなるでしょうね) 

 「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もあります

し、どんなものでも、その量が適当であれば「薬」になり、

過ぎれば「毒」となります。「毒」と「薬」があるのではな

くて、その量によって「毒」になったり「薬」になったりす

るわけです。(トリカブトの毒でも、適量なら心臓の薬です

からね)

 人の持つ“衝動”も、外に出なかったり、出ても少しだけな

ら問題にはなりません。それが、ある線を越えてしまうと、

やっかいな事になってきます。“アグレッシブさ”が問題を生

み出します。この“アグレッシブさ”を別の言い方で言うと、

“欲”です。

 そして、“欲”をもう一つ別の言い方にすると、“エゴ(自

我)”です。

 “悪(問題)”を生むのは“欲”であり、“欲”とは“エゴ(自

我)”の別名です。

 何故、“欲”が“エゴ”なのか?

 「エゴ=自我」というのは、OKですよね?

 で、”エゴ”というのは、本来の自分の外側に世の中の干渉

によって出来たもので、世の中の一部です。

 “欲”というものも、本来の自分の外側に世の中が干渉して

生まれるもので、やはり世の中の一部です。

 わたしたちが、普段自分だと思っているものは、“欲”が、

人格であるかの様に振る舞っているものに過ぎません。

 “欲”は元々世の中の一部ですから、世の中と一体であり、

世の中に出て行こうとする性質があります。(出て行くとい

うより、自分でないものを、自分の一部として誤って囲い込

んでいるのですから、留めて置く方が無理なんです)

 ですから、“欲”が強ければ(多ければ)それだけ外に出よ

うとする力が強くなります。より“アグレッシブ”になるんで

すね。

 その結果、より問題を起こし易く、大きくし易くなるので

す。“アグレッシブさ”は“欲”の量とか、“エゴ”の強さと言

えますね。

 《 エゴとは欲であり、エゴとは悪の種である 》

 こう書くと、別に目新しいことでもありませんね。

 わたしたちが、問題の多い人生を送りたくなければ、“エ

ゴ(欲)”を少なくして、世の中の干渉を減らし、本来の自

分を大事にしなければならないでしょう。


 気が付いたら、「少欲知足」の解説になっちゃいました

ね。





  そうそう、今さらですが、ブログタイトルにある「アタ

マ」というのは、“エゴ”のことです。 




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