アタマが悪い。
わたしたちのアタマは本当に悪い。
自分の身の廻りで起こる出来事を見ていても、ニュースを
見ても、自分が考えたりしでかしたりすることを見ていて
も、本当にアタマは悪い・・・。
世界中でアタマが悪さをして、バカな事が際限なく繰り返
される。誰もそれを止められない。止めようとしてアタマを
使うので、さらに酷いことになったりする。
どうにもならないことは分かっている。分かっているつも
りでいる。それでも、ため息が出たり、絶望感を覚えたり、
怒りに身体が震えたりすることを止められない出来事を見聞
きする・・・。
ほんとにどうにかならないものだろうか・・・。
どうにもならないね・・・。
人は止むに止まれず生きている。
世界は止むに止まれず動いて行く。
誰にもコントロールできない。
誰もコントロールしていない。
ただ単に、すべてが、それがあるように移ろって行くだ
け・・・。
わたしたちの〈アタマ〉が悪さをすることも、その移ろい
の中にある・・・。
いったいどうなるのだろう?
人は何処へ行くのだろう?
人はしあわせになれるのだろうか?
人は、人を超えて、本当に人になれるだろうか?
人であることを、完全に受け入れられる時が来るのだろう
か?
・・・涙が出そうになる・・・。
私個人の問題ではない。
私はどうせ “出来損ない” だ。あと何十年かしたら、確実
にこの世から去っているし、もしかしたら、私自身のことは
自分で片を付けられるかも知れない。自分はそれで満足出来
るかもしれない。けれど、この世界には私が関わった人も大
勢いるし、関わった事が無い人たちも同じ人間だ。その人間
たちが、真に人間として、人間として真に安らいで「生きる
こと」を受け入れられる時が来て欲しい。
改めて考えてみれば、〈アタマ〉に悪気はない。
〈アタマ〉は、「生きている」という状況が理解不能で、
パニックをおこしているだけだ。
苦悩し、困り果てているのは、本当は〈アタマ〉の方なん
だ・・・。
人は、〈アタマ〉の暴走やごまかしに振り回され、囚わ
れ、時には命さえ失うけれど・・・、その振る舞いは決して
褒められたものではないけれど・・・、だからこそわたした
ちは、怯えて猜疑心に囚われ、卑屈になったり攻撃的になっ
たりしている〈アタマ〉を、なだめて安心させてやるべきな
んだろう。
わたしたちは、“自分の愚かさ” を、“自分の卑しさ”
を、“自分の禍々しさ” を、“自分の不完全さ” を抱きしめて
あげるべきなんだろう。
人が持つ “それら” を、世界ごと抱きしめるべきなんだろ
う。
そうであるしかないのだから、それで「OK!」と言うし
かない・・・。
混乱し、迷子になっている〈アタマ〉を抱きしめ、手を取
って家に連れて帰り、優しく寝かしつけることが出た
時・・、自分という “我が家” がはじめて安らぎに包まれる
のだろう・・・。
わたしたちのアタマは本当に悪い。
自分の身の廻りで起こる出来事を見ていても、ニュースを
見ても、自分が考えたりしでかしたりすることを見ていて
も、本当にアタマは悪い・・・。
世界中でアタマが悪さをして、バカな事が際限なく繰り返
される。誰もそれを止められない。止めようとしてアタマを
使うので、さらに酷いことになったりする。
どうにもならないことは分かっている。分かっているつも
りでいる。それでも、ため息が出たり、絶望感を覚えたり、
怒りに身体が震えたりすることを止められない出来事を見聞
きする・・・。
ほんとにどうにかならないものだろうか・・・。
どうにもならないね・・・。
人は止むに止まれず生きている。
世界は止むに止まれず動いて行く。
誰にもコントロールできない。
誰もコントロールしていない。
ただ単に、すべてが、それがあるように移ろって行くだ
け・・・。
わたしたちの〈アタマ〉が悪さをすることも、その移ろい
の中にある・・・。
いったいどうなるのだろう?
人は何処へ行くのだろう?
人はしあわせになれるのだろうか?
人は、人を超えて、本当に人になれるだろうか?
人であることを、完全に受け入れられる時が来るのだろう
か?
・・・涙が出そうになる・・・。
私個人の問題ではない。
私はどうせ “出来損ない” だ。あと何十年かしたら、確実
にこの世から去っているし、もしかしたら、私自身のことは
自分で片を付けられるかも知れない。自分はそれで満足出来
るかもしれない。けれど、この世界には私が関わった人も大
勢いるし、関わった事が無い人たちも同じ人間だ。その人間
たちが、真に人間として、人間として真に安らいで「生きる
こと」を受け入れられる時が来て欲しい。
改めて考えてみれば、〈アタマ〉に悪気はない。
〈アタマ〉は、「生きている」という状況が理解不能で、
パニックをおこしているだけだ。
苦悩し、困り果てているのは、本当は〈アタマ〉の方なん
だ・・・。
人は、〈アタマ〉の暴走やごまかしに振り回され、囚わ
れ、時には命さえ失うけれど・・・、その振る舞いは決して
褒められたものではないけれど・・・、だからこそわたした
ちは、怯えて猜疑心に囚われ、卑屈になったり攻撃的になっ
たりしている〈アタマ〉を、なだめて安心させてやるべきな
んだろう。
わたしたちは、“自分の愚かさ” を、“自分の卑しさ”
を、“自分の禍々しさ” を、“自分の不完全さ” を抱きしめて
あげるべきなんだろう。
人が持つ “それら” を、世界ごと抱きしめるべきなんだろ
う。
そうであるしかないのだから、それで「OK!」と言うし
かない・・・。
混乱し、迷子になっている〈アタマ〉を抱きしめ、手を取
って家に連れて帰り、優しく寝かしつけることが出た
時・・、自分という “我が家” がはじめて安らぎに包まれる
のだろう・・・。
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