2019年1月30日水曜日

橋本治は不滅です!


 昨日、橋本治さんが亡くなった。

 橋本さんは、私が大きな影響を受けた一人です。このブロ

グで、面倒なことをこんな文体で書いているのも、橋本さん

と無関係では無いだろう。もちろん、私には橋本さんのよう

な文章力も丈夫な頭も無いけれど、このブログには、そこは

かとなく橋本治的なものが漂っていると思う。

 別に意識して書いているのではなくて、二十代をどっぷり

と橋本治漬けで過ごしたので、その語り口がもう身体に滲み

込んでしまっているのです。


 橋本治さんの著作は膨大過ぎて、とてもじゃないが私なん

ぞには語れない。膨大以前にそのひとつひとつが濃すぎて私

なんかの手に負えない。だから語らない。

 代わりに、昔、糸井重里さんが言っていた “橋本治評” を

頼りに、橋本治さんについて少し言おう。

 糸井さんは橋本治をこう評した。

 「理論作ってベタベタ残してんのは、橋本治だけだよ」


 わたしたちはものを考える。

 そして考えが深まって行くほど、わたしたちは観念的にな

ってしまう。

 観念的になって、観念が独り歩きを始めて、いつのまにか

わたしたちは観念に引き回されて生きるようになる。身体の

一部の機能でしかないはずの「思考」が、身体を支配してし

まう。しかし、橋本治は「ベタベタ」を残す。

 「ベタベタ」とは、“身体性” のことです(言葉がダサい

けど “生理的判断” と言ったらいいのかもしれない)。


 あんなにしつこくものを考える人もいないと思うけれど、

その考えはあくまで身体に立脚している。そこから離れた

ら、どんなに頭脳明晰でも「バカ」だと、橋本治は当然の如

く確信していて、いくら気持ち悪くても、スッキリしなくて

も、「ベタベタ」を拭うことはしなかった。

 「観念的になる」とは、スッキリしたいが為に、実在して

いる「ベタベタ」を無いものと見做すことですが、それは当

然、生きていることの根本的な事実を無視することですか

ら、問題を生み出します。人間の世界の問題は、ほぼすべて

そこから生まれるので、観念的な人間に対して橋本治は言い

続けた。

 「バカじゃねぇの!」と。


 ここまで書けば、私が橋本治さんに影響を受けていること

が丸分りですね。

 このブログのタイトル『アタマが悪い』は、私の中の橋本

治が付けたものでしょう。私の中に橋本治の血が流れている

のは間違いない。濁ったり薄まったりしているでしょうが

ね・・・。


 これ以上書くと、自前の “橋本治評” になってしまってバ

カをさらしそうなので、もう止めます。



 〈弔辞〉

 橋本治さんへ、一旦は涅槃を過ぎたあなたですが、一周回

って今度は涅槃に入られたのですね。あなたの血は多くの人

の中に注がれて、その “身体” を巡っているようです。
 

 どうもありがとう。感謝感激雨あられ。




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