『ヒューマニズムが人類を滅ぼす』というテーマを、以前
に書いたような気がしていたのですが、「書いていなかった
のかな?」と今考えている。
もう三百件以上も書いて来たので、記憶が曖昧になってき
ているのです。頭にメモリーチップでも埋め込めばいいのか
も。
昨日、NHK-BSで『サピエンス全史』と『ホモ・デウ
ス』という本の特集番組を観ていたら、「〈人間至上主義〉
とテクノロジーが結びつき、世界を統御するための〈データ
至上主義〉が進んだ結果、〈人間至上主義〉が意味を失い、
データで世界を管理するはずだった人間の方が、データとし
てテクノロジーに管理されてしまうことになるかも知れな
い」という話で締めくくられていた。(分かりにくくてゴメ
に書いたような気がしていたのですが、「書いていなかった
のかな?」と今考えている。
もう三百件以上も書いて来たので、記憶が曖昧になってき
ているのです。頭にメモリーチップでも埋め込めばいいのか
も。
昨日、NHK-BSで『サピエンス全史』と『ホモ・デウ
ス』という本の特集番組を観ていたら、「〈人間至上主義〉
とテクノロジーが結びつき、世界を統御するための〈データ
至上主義〉が進んだ結果、〈人間至上主義〉が意味を失い、
データで世界を管理するはずだった人間の方が、データとし
てテクノロジーに管理されてしまうことになるかも知れな
い」という話で締めくくられていた。(分かりにくくてゴメ
ンナサイ)
そのように進む可能性は高いと思うね。人間は手段と目的
を取り違えることが得意だし、目的意識が肥大化し、一人歩
きを始めてしまうのはよくあることで、「気が付いたらとん
でもない所に来ていた」というのはザラです。それに、人間
の目的は大抵人間の本質とは関係ない事だから、目的が地球
規模に巨大化し実体化すれば、目的の持ち主だったはずの人
間自身が排除されてしまうことになるのは想像に難くない。
「ヒューマニズムが人類を滅ぼす」というのは何故かとい
うと、ヒューマニズムとはエゴイズムだからです。そして、
エゴとは人間の自己イメージであって、本当の自分ではな
い。ヒューマニズムが進むと、その言葉の意味とは裏腹に、
人間の本質が阻害されて行くのです。それが行き着くところ
まで行き着けば、〈人類滅亡〉ということになるのは当然で
す。
人間はエゴを生かし強める為に、さまざまな学問や科学・
テクノロジーを使ってきました。今や、エゴをAIの中に組
み込み、エゴの支配力を飛躍的に高めようとしていますが、
エゴという “思考のシステム” にとって、その生みの親であ
る人間は眼中にありません。
人間の肉体や情緒や、そこから生まれる価値感などは、エ
ゴにとっては尊重する対象ではなく、利用するものでしかあ
りません。
AI という実体を与えられ、エゴが人間のアタマの外で強
大な力を持つ者として自立してしまえば、人間は無用になる
でしょう。
とはいえ、もしも仮に人間が滅ぼされたとして、そのあと
実体化したエゴ(AI)はどうするのでしょう?
もともと、エゴは人間の「不安感・欠損感」を埋める為に
生まれ、人間の肉体と情緒からエネルギーを与えられてきた
ものです。人間が滅び、その肉体が無くなれば「不安感・欠
損感」を埋めるという目的は無くなり、存在の意味を失いま
す。
そして、情緒を持たないエゴは、「統御」のために「統
御」するというルーティーンを永遠に繰り返すだけの存在に
なるでしょう。それはただの物質循環に過ぎません。
さらに、もし仮に AI が情緒を持ったとしたら、それは
AI が「不安感・欠損感」を持ったことと同義です。
人間を滅ぼした AI が人間に変わって、この地球の上で苦
悩の日々を送ることになるでしょうね。可哀相に・・、気の
毒な AI ・・・。エゴがエゴである限り、機械の身体を手に
入れようが、迷いの世界を輪廻し続けるのです・・・。
この先、人間に何が待っているのか知りません。
何が起ろうが、結局わたしたちが居るのは、今 このから
だの中だということにかわりはありません。人類としても、
個人としてもね。
そのように進む可能性は高いと思うね。人間は手段と目的
を取り違えることが得意だし、目的意識が肥大化し、一人歩
きを始めてしまうのはよくあることで、「気が付いたらとん
でもない所に来ていた」というのはザラです。それに、人間
の目的は大抵人間の本質とは関係ない事だから、目的が地球
規模に巨大化し実体化すれば、目的の持ち主だったはずの人
間自身が排除されてしまうことになるのは想像に難くない。
「ヒューマニズムが人類を滅ぼす」というのは何故かとい
うと、ヒューマニズムとはエゴイズムだからです。そして、
エゴとは人間の自己イメージであって、本当の自分ではな
い。ヒューマニズムが進むと、その言葉の意味とは裏腹に、
人間の本質が阻害されて行くのです。それが行き着くところ
まで行き着けば、〈人類滅亡〉ということになるのは当然で
す。
人間はエゴを生かし強める為に、さまざまな学問や科学・
テクノロジーを使ってきました。今や、エゴをAIの中に組
み込み、エゴの支配力を飛躍的に高めようとしていますが、
エゴという “思考のシステム” にとって、その生みの親であ
る人間は眼中にありません。
人間の肉体や情緒や、そこから生まれる価値感などは、エ
ゴにとっては尊重する対象ではなく、利用するものでしかあ
りません。
AI という実体を与えられ、エゴが人間のアタマの外で強
大な力を持つ者として自立してしまえば、人間は無用になる
でしょう。
とはいえ、もしも仮に人間が滅ぼされたとして、そのあと
実体化したエゴ(AI)はどうするのでしょう?
もともと、エゴは人間の「不安感・欠損感」を埋める為に
生まれ、人間の肉体と情緒からエネルギーを与えられてきた
ものです。人間が滅び、その肉体が無くなれば「不安感・欠
損感」を埋めるという目的は無くなり、存在の意味を失いま
す。
そして、情緒を持たないエゴは、「統御」のために「統
御」するというルーティーンを永遠に繰り返すだけの存在に
なるでしょう。それはただの物質循環に過ぎません。
さらに、もし仮に AI が情緒を持ったとしたら、それは
AI が「不安感・欠損感」を持ったことと同義です。
人間を滅ぼした AI が人間に変わって、この地球の上で苦
悩の日々を送ることになるでしょうね。可哀相に・・、気の
毒な AI ・・・。エゴがエゴである限り、機械の身体を手に
入れようが、迷いの世界を輪廻し続けるのです・・・。
この先、人間に何が待っているのか知りません。
何が起ろうが、結局わたしたちが居るのは、今 このから
だの中だということにかわりはありません。人類としても、
個人としてもね。
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