2019年1月6日日曜日

止まれ! Ⅱ~無目的志向~



 止まること。


 この、異常に動きまくる世の中で、人としてあるべき姿

保つためにはそれしかない。

 本当にしあわせでいたいならばそれしかない。


 物理的に止まってみてもいい。

 心理的に止まってみてもいい。

 とにかく止まってみること。

 止めてみること。


 自分に返るために、座禅とかマインドフルネスとかさまざ

まな瞑想とかが注目されていますが、ああいうものは、要す

るに「思考」に誘導されて起こる物理的・心理的動きを止

める為のメソッドです。

 ああいった方法で訓練していくうちに、日常の中でも、

「思考」に誘導されて余計な動きをする割合が減ってゆくの

でしょう。ペースダウンさせることが出来るようになった

り、ブレーキを掛けられるようになったりして、それまでと

は違う物事の受け取り方が出来るようになってくる。


 とてもいいことだと思いますが、座禅や瞑想なんかを改ま

ってやるのは性に合わないとか、そのような機会がないとい

う人もいます(私がそうです)。そういう人は、ふと思いだ

した時に、日常の中の動きを止めてみればいい。



 洗濯物を干している最中に、「止める」ということをふと

思いだしたら、すぐ手を止めてしばらく動かないでいる。

 コンビニへ何かを買いに歩いている時に、「止める」とい

うことをふと思いだしたら、その場で立ち止まってみる。

 そして、自分の中の感覚に目を向けて、よく観察する。


 実際にやってみると分かりますが、何か目的があって動い

ている時に、理由もなくそれを「止める」というのは結構

からが要ります。すごくやりづらくて、一瞬不快感を感じま

す。

 ですが、そのあと、普段は感じられない感覚が湧き起って

来ます。

 言葉にしづらいですが、「止まってるほうが “本当” だ

な」という気付きとでも言えばいいでしょうか。


 普段わたしたちは大なり小なり「目的」を持って動いてい

ますが、「目的」というものは、生きる上でさほど重要では

ないということに気付いてしまうのです。ちょっと大袈裟か

もしれませんが、そういうことです。


 どんなに重要な「目的」があっても、自分でそれを「止め

る」ことは出来ます。けれど、自分で心臓を「止める」こと

は出来ませんね(「自分の心臓をとめること」が目的の人も

いますが、それはまた違う話です)。

 生きることにおいて「目的」というものは、ひとつふたつ

ステージの低いことです。


 ですが、わたしたちはほとんどすべての時間、「目的」に

目を奪われ、「目的」に向かって動き続けています。「目

的」を果たすことだけが「目的」になっています。それしか

見えないのです。その為、「目的」が有ろうが無かろうが存

在しているものを見失ってしまいます。〈命〉です。

 ここで言う〈命〉とは、「命を大切に・・」とか「死んで

はいけない」といった次元のことではなくて、生も死も含め

た “存在の現れ” といったことですけどね。


 「目的」を持つと、自分の外に目が向きます。たとえその

「目的」が自身の健康だとしても、その時目が向いているの

は、今の実際の自分ではなくて、“あるべき健康な自分” と

いうイメージの方です。そのイメージは今の自分の “外” に

あります。今の実際の自分は眼中に無くなってしまって、当

然、おろそかされてしまいます。生きることの立ち位置が自

分の外に置かれるようになってしまうのです。

 そうなると、自分を生きているのではなくて、「目的」を

生きていることになりますね。自分を生きなくていいのでし

ょうか?


 当然ながら、生きていればさまざまな「目的」を持ちま

す。それは人に限ったことでもありません。

 サケが川に上って来る頃には、ヒグマは川へ向かいます。

 マリアナ海溝の深海で生まれたウナギの稚魚は、日本の川

を目指します。

 どんな命にも「目的」はありますが、人間の「目的」には

あまりにも余計なものがからみついていて、「生きる」とい

うことの本質から逸脱しているのです。余計な荷物を背負っ

ていると言ってもいいでしょう。


 人間の「目的」は必要不可欠なものではありません。よく

ても必要悪といったところでしょう。ですが、人はまったく

「目的」を持たずに生きて行くことは出来ませんから、日常

的な「目的」を持つのは仕方がない。でもそれは必要悪だと

知っていること。「目的」主体の日々に嵌まり込み過ぎない

こと。「目的」よりも大きな自分というものが確かに在るの

だということを気付いていなければ、わたしたちは生き損ね

る。


 それを確認する為に、ときどき止めてみる。


 からだの動きを止めてみる。

 アタマの動きを止めてみる。

 そして、それが絶対必要な事ではないことを実感してみ

る。


 止まれ!


 本当に止まることが出来たら、そこには本当の自分がい

る。

 本当の世界が見える。

 本当のしあわせを知る。


 ちょっと止まってみませんか?  今。


 いち、に、のさん!

 止まれ!



















































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