私は生まれてこの方お金に縁がない。40代の頃は行きがか
り上かなり働いたので少し余裕はあったけれど、やっと人並
みに近付いた程度で、贅沢はできなかった。そしてまた、現
在はお金の余裕はない。それも当然で、私はお金を稼ぐこと
に一所懸命になれない。ある程度お金を稼げて少し余裕がで
きれば、それ以上稼ぐことに時間と労力を使うのはしんどく
感じてしまう。
結構な割合で、人は何かしたいことをするための資金とし
てお金を稼ごうとするけれど、私はしたいことが有っても、
それが頑張ってお金を稼がなければできないことなら「別に
しなくてもいいか」と思ってしまう。面倒くさい方が先に
立ってしまう。
したいことの為にいま我慢するぐらいなら、したいことは
諦めていまを尊重するのが私の性に合う。
こういう考えは「負け犬根性」なのだろう。でもそれが性
分で、それなりに面白く生きてこられたので、自分では後悔
などしない。他の誰かと比べて自分の生き方に低評価を付け
る義理はない。世の中の基準なんかに合わせるのは、自分に
失礼だと思っている。
こういうことを言えば、きっと誰かが言う。
「そんなの負け惜しみだろう」
人の口に戸は立てられないので仕方がない。言わせておく
しかない。
誰が何を言おうが、自分がどんな目に遭おうが、自分は自
分を生きるしかない。どんな人生であれ、人生というのは
「どうやって笑うか」がすべてだろう。
世の中のお話しの中で上手にやることで笑おうとする者は
そうすればよい。私の場合は、世の中のお話しの中では笑え
そうもなかったので、世の中の外で笑うすべを探った。そし
てその方針はほぼ成功したらしい。私は、個人的に成功し
た。
こういう「個人的な成功」を公にすると、先に書いたよう
に必ず誰かが「負け惜しみだ」と圧をかけてくる。
「知ったことか」と思う。自分ももういい歳なので、そう
いう輩に構っているほど、こちらの人生は残っていない。そ
んなひまとエネルギーがあれば、自分の成功を味わうことに
使う。
自分の在り方に満足している者は、他の個人の満足の仕方
を批判したりはしないものだ。そんなもの人それぞれで関係
ないんだから。
人が他人の満足の仕方を批判するのは、自分の在り方に満
足出来ていなくて、自分の在り方に自信が無く、不安だから
だ。
と、こんなことを私が書いているのも、自分の在り方に自
信が無いせいかもしれない。語るに落ちるという、情けない
姿をさらしてしまっている可能性も否定できない・・・が、
その情けなさも笑ってしまえばそれで済む。
世の中の端っこで出たり入ったり、自分の中心でふらふら
しながら、そんな自分を笑ってしまう。
やっぱり、人生というのは「どうやって笑うか」がすべて
だろう。
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