2025年7月12日土曜日

まま

 
 
 なんだかわからないタイトルですけど、「このまま」とか
 
「素っぴんのまま」とか言うときの「まま」のことです。
 
 
 量子力学とかスピリチュアルなんかの話の中で「意識だけ
 
が存在する」とか「本当は現実など無い」とか語られること
 
が多いんですけど、昨夜そういうことを考えていて、「『あ
 
る』とか『ない』とか言ってしまうと、もうそれだけでズレ
 
てるだろうなぁ」と思ったんですね。それで、「『ある』で
 
も『ない』でもないのはどういうことだろう」と探っていて
 
たどり着いたのが「まま」だったのです。
 
 
 「あるがまま」と言っても「無いがまま」と言っても、
 
「ある」「無い」という“限定”が最後に引っかかってしま
 
う。ならば「あるがまま」「無いがまま」の「ある」「無
 
い」を無くして、「『まま』だけならどうだ」と思ったんで
 
す。
 
 
 「まま」という言葉を説明するのは難しい。いろいろ考え
 
た末に出てきたのは【手を加えない】ということでした。
 
 
 「ある」ことにも「無い」ことにも手を加えない。
 
 運命にも人生にも手を加えない。
 
 ただただ「まま」の「まま」を辿って生きてゆく。
 
 
 「南無阿弥陀仏」の「南無」は、「すべてを任せてしま
 
う」という意味だから「まま」と同じでしょうけど、あまり
 
にも長く「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」という言葉
 
の中で使われてきたので、「南無」とだけ口にしても、どう
 
しても「阿弥陀仏」や「妙法蓮華経」がチラつく。
 
 
 「仏に会っては仏を殺し」と言ったお坊さんがいました
 
が、それは「すべての縛りから放たれて自由無碍になるため
 
には、仏さえ邪魔だ」ということで、その言葉に従えば「阿
 
弥陀仏」も「妙法蓮華経」も邪魔なのです。だから目の端に
 
でもチラつかないようにしたい。
 
 その点「まま」は手垢が付いていない。「南無」と同じこ
 
とですが、余計なものが何も付いてこないので良い。
 
 
 落ち着いて、自分の中にある「空っぽの意識の部分」を感
 
じながら、「まま・・・」とつぶやいてみる・・・。 
 
 すると、自分と自分を取り巻く世界が「まま」になる。
 
「まま」のままになる。
 
 何も欠けておらず何も余分なものもなく、何にも制限され
 
ていない、その・まま・の「在ること」が感じられる。
 
 
 過去も「まま」のまま。 
 
 いまも「まま」のまま。
 
 未来も「まま」のまま。
 
 自分も「まま」のまま。
 
 世界も「まま」のまま。
 
 生命も「まま」のまま。
 
 死も 「まま」のまま。
 
 しあわせも不しあわせも「まま」のまま。
 
 
 わたしたちは、自由なまま。
 
 
 
 まま
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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