2025年7月7日月曜日

「役に立つこと」は、わたしたちの役に立つか?

 
 
 ひねくれたタイトルですけど、このブログではこういうの
 
はよくあります。こういう物言いをしたくなるのは、世の中
 
の出来事に対して、私が違和感を感じるときですが、ネット
 
でもテレビでも職場でも学校でも、四六時中「役に立つ」と
 
いうことが望まれます。そういう常識に対して、私はなにや
 
ら不快なものを感じてしまうんですね。
 
 
 例えば「生物の多様性を守らなければならない」という主
 
張をする人が必ずといって口にするのが、「植物から未知の
 
薬の成分が発見されたり、生き物のからだの構造から新しい
 
発見がされて、それが革新的な素材を生むことにつながった
 
りする。そのために多様性を守らなければいけない」という
 
理屈。
 
 こういうのを聞くたびに私はつっこんでしまう。「役に立
 
たないのは滅んでいいんだね」と。

 
 私の言い草はあげ足取りではあるけれど、なぜそういうこ
 
とを言いたくなるかというと、「『役に立つから』という理
 
由を付けなければ社会に受け入れてもらえない」という雰囲
 
気があって、「多様性を守ろう」という人に世の中がそれを
 
感じさせているのが気に入らないからなんですね。
 
 「いろんな生き物がいるほうが面白いでしょ?」みたいに
 
言わせてもらえないのがいまの世の中というもので、その風
 
潮がくだらないなと感じる。
 
 
 いったい何が「役に立つ」のか?
 
 何か「役に立つ物」とか「役に立つこと」が生まれると、
 
それが活かされる事柄のフェーズが変わる。今までのやり方
 
が淘汰され状況が次のステージへ進むことになります。それ
 
はある面から見れば進歩・改良・創造と言えますが、裏から
 
見れば停止・改悪・破壊でしょう。エアコンが普及したおか
 
げで体温調整機能が衰えたとか、便利な機械が導入されて人
 
が仕事を失うとか。
 
 エントロピーの法則により、秩序が生まれると別のところ
 
にその分の無秩序が生まれてしまう。「役に立つもの」が生
 
まれると、その裏側で「役に立たないもの」が生まれてしま
 
う。社会がこれだけ豊かになっても、社会が人を幸福にして
 
いないのはそういうことでしょう。世界は一見良くなるよう
 
に見えても、ただエネルギーを消費し続けながらゴミの山を
 
作っているだけです。「役に立つ」と言いながら、ひと時の
 
興奮を得るだけです。
 
 人は満足することが大の苦手ですから、すぐに物足りなく
 
なるのです。はて、「役に立つこと」は一体何の役に立った
 
のでしょう?
 
 
 こんなことを聞かされると「いや、そんなことばかりじゃ
 
ない。本当に役に立つこともある」という人が必ずいるもの
 
です。例えば「ガンの絶対的な治療法が出来た」というよう
 
なことなら、本当に役に立つと多くの人が思うでしょう。け
 
れど、ガンで人が死ななくなったとして、それで人が満足す
 
るでしょうか?ガンの脅威は無くなっても人は何らかの形で
 
死にます。脅威・不安の対象が変わるだけ。では、人が誰も
 
死ななくなったら?それは果たして幸福なことなんでしょう
 
か?永遠に生きて何をするのでしょうか?
 
 「もういい加減に死なせてくれ!」人はそう言い始めるよ
 
うな気がします。
 
 
 「役に立つ」なんて、ものごとの一面です。その面を見て
 
いられるうちは愉快なことでしょうが、果たしてそれで逃げ
 
おおせる人生を送れるでしょうか
 
 
 現代は極度な功利主義・効率主義です。若い子が「タイパ
 
がイイ」とか言いますが、若いにしてもちょっと考えが浅す
 
ぎでしょう。あんな考え方で生きたら、一生しあわせとは無
 
縁です。タイパが大事なら、さっさと棺桶に入ればいいので
 
す。なのに「棺桶に入るのは嫌だ」というなら、それは幽霊
 
ですよ。
 
 
 役に立とうが立つまいが、そんなのほとんどは世の中のお
 
話しです。少なくとも「一面では良いことがある」という意
 
識でいないと後で代償を払うことになるでしょう。
 
 まぁ運良く他の誰かに代償を払わせることができるかもし
 
れませんけど、上品なことではないですし、本当のしあわせ
 
からは遠ざかるばかりでしょう。

 
 そりゃあ生活していると役に立つとか立たないとかを考え
 
る必要はありますが、生きる上では、役から外れたところに
 
意識を向ける方が、生きることに豊かさをもたらすと思いま
 
すね。






0 件のコメント:

コメントを投稿