「同時相関相補性」という言葉を前回使ったんですけど、
この言葉は、橋本敬三先生というお医者さんが、ご自身の著
書の中で使われていた言葉です。
橋本先生は、もう二十年以上前にお亡くなりになられてい
ますが、仙台で長く開業医をされていた方で、「操体法」の
創始者として知られています。
「操体法」というのは、一人で、あるいは補助をする人と
二人で行う身体の調整法といったもので、自力で体を動かし
ながら、簡単な方法で様々な身体の不調を解消できるもので
す。
その根本を成す考え方は、「気持ちの良い方に動けば、身
体は良くなるように出来ている」「気持ちの良い事なら何を
しても良い
で、私は三十年以上前に「操体法」に出会って、それ以来ず
っと、身体の不調があると「操体法」をして自分で治すとい
う事を行って来ました。
でも、ここではこれ以上「操体法」の実際には触れませ
ん。
「操体法」の実践以上に、私が橋本先生から影響を受けた
のは、「気持ちの良い事なら何をしても良い
後味が悪くない事」ということと、「同時相関相補性」とい
う考え方でした。
これらは、身体について橋本先生が語られたことですが、
私は「人と世界の在り方」の基本原理、という受け止め方を
したのです。私は橋本先生の著書を拝見しただけで、お目に
かかった事はありませんが、先生ご自身も、その様に考えて
おられたに違いありません。
「気持ちの良い
は、私の”人”と“世界”に対する認識に、決定的な影響を与え
ました。
「生き物は、“快原則”に従うことで、より良く生きられ
る」ということが一つですが、それ以上に大きかったのが、
「同時相関相補性」でした。
これを、言い換えると「同時に繋がりあって動く」という
ことです。
そして、「動き」は時間の繋がりの中に有りますから、一
つの「動き」は次の「動き」に繋がり、時間と空間の中を無
限に連鎖して行くことになります。
宇宙が動き始めた時から、その動きは途切れる事無く関わ
り合いながら、星々を生み、地球を生み、生命を生み、人間
を生み出して来ました。
り合いながら、星々を生み、地球を生み、生命を生み、人間
を生み出して来ました。
その動きの必然として、地球独特の風土(環境)が生まれ
て、その風土の影響によって人間の文化が生まれて来まし
た。そして、「人間が文化を生み、文化が人間を動かす」と
いう「相関相補」状態が続いています。
《 世界は惰性で動いている 》などと、私が言い出した
のはここからですが、この考えが「仏教」の「縁起」の考え
だという事を後で知ることになりました。
(もしかすると、少し違うのかもしれませんが)
そのように、「すべてが繋がり合っている」という風に考
え始めると、「繋がり合っている」わけですから、「すべて
は一つ(一体)」という話になり、「自分はどこ?自分はど
れ?・・・自分は無い。」ということになってしまいまし
た。
まぁ、個体としての「自分」はあるんですけどね。「自
分」というものは、周りの存在があって初めて意味を持つわ
けで、完全に孤立してしまえば居ないのと同じですから、
「自分」というものは、世界の一部分としてしかありえない
ですね。
その結果、“我を張る”自信なんか無くなってしまったので
す。“自分を信じる(自信を持つ)”ことなど出来ません。
おかげで、ずいぶん謙虚になれました。(自己評価で)
「自分の思い通りにしたい」などということは、まず考え
ませんね。「思い通り」と言ったって、その「思い」がホン
トに自分から生まれて来ているのなら、「自分の思い通り」
ですが、どのような「思い」も何かの影響でしょ? 自分が
世界の外にある訳じゃないですから。
どんな服を着るかだって、その日の気温や天気、出かける
場所と会う人、今の流行りや気分で決まってきてしまう。そ
れを、「自分の選択」と人は言いますが、私から見れば「状
況による誘導」です。
そんなことですから、私はこう思っています。
《 みんな、止むに止まれず生きている 》
誰もかれも、何か根拠のある考えがあって行動しているの
ではありません。何かに動かされ、止むに止まれずに何かを
しているのです。
「北朝鮮がまた弾道ミサイルを撃った」と、昨日からマス
コミなんかが騒いでいますが、何の為にあんな事をするの
か、やってる方も周りも、本当は分からないんですから、差
し当たり放っときゃいいんだと思いますがね。(実害が出そ
うになってからでいいんですよ。だって、日本は実害を受け
るか、実害を受けるのがほぼ確実にならないうちは、何もし
てはいけない事になってるんですから、出来る備えだけしと
いて、黙って見てりゃぁイイ)もし、私の頭の上に落ちて来
たら、シェルターがあるわけじゃないんで、天命だと思って
死ぬだけです。交通事故よりは、確率は低いでしょう。
「自分の思い通り」は無い。と知らされてから、「思い通
りにしよう」と思わなくてよくなったので、すごく楽になり
ました。大きなヒントを与えて下さった、橋本先生には感謝
しています。
「日本人が抽象思考をする時に使う言葉は、ほとんど仏教
用語なので、日本人が抽象的なことを考えると、おのずと仏
教になってしまう」と言われたのは、養老孟司先生ですが、
やっぱり「お釈迦様の掌の上」なんですね。私も。
どこまで飛んでも、“飛んだつもり”なだけです。
ひとりで勝手に、嬉しがったり、怒ったり、悔しがったり
しているだけ・・。ほんと、人間はご苦労さんです。
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