2017年5月29日月曜日

ネットで繋がる意味(についての妄想)

 もう、今から三十年以上も前でしょうか。「これからは、

情報化社会になる」と言われていました。

 確かに情報化社会になって、私の様な者まで、こんなこと

をしています。

 当時は、まだインターネットなどは無く、そんな想像すら

出来ない状況でしたが、NECがPCシリーズを発売した

り、企業が業務管理にコンピューターを導入しだしたりし

て、ネット社会の基盤が出来始めた頃でした。

 その一方で、マスメディアのスピードは格段に上がり、湾

岸戦争のニュースが、云わば“中継”されて、「世界中の出来

事が、リアルタイムで伝わる」という現実をみんなが知った

のでした。

 そんな状況を見て私が思ったことがありました。それは、

「これから来るという“情報化社会”は、人間が進化し切る為

の、最後のプロセスかも知れないな」ということでした。

 “進化し切る為の、最後のプロセス”というのは、「人間

は、まだ進化し終わっていない」と私が考えていて、全人類

が情報を同時に得ることによって、人間が幸福に生きる為の

に最適な方法と価値観を共有し、やがてそれが人類の“本

能”として人々に刻まれて、人間は700万年の進化のプロセ

スを終え、“人類”としての完成を見るのではないかと。
 

 人間は、生物として不完全ですよね。本能が壊れているの

   「本能が無い」というのではなくて、不具合が多い

   いちいち考えなければ生きて行けない。他の生物は、

本能だけで生きられるか、本能に基づいて少しの学習をする

だけで、その生物として生きて行く事が出来ます。

 しかし、人間は他の哺乳類と較べても、信じられない程の

量と種類の学習をしなければ生きて行けません。それどころ

か不要な学習をし、不要な行動をして、自らを窮地に追い込

んだりしています。まったく不完全(出来損ない)です。

「人類は進化し切れていない」そう言い切って間違っていな

いと思います。


 人類は、このデカい脳を持ったおかげで、本能が壊れてい

るにも関わらず、なんとか生き延びています。しかし、その

一方でこのデカい脳を持て余して、自らを滅ぼしかねない活

動も続けています。

 そんな不完全な人類が、その進化の流れの中で、さまざま

な土地へ拡がり、さまざまな生き方をして、その最後に世界

中の人間の意見を集約することによって、最適で普遍的な

「人類の生き方」を決定し、数千年から数万年をかけて全人

類に定着させ、その進化を終えるのではないか。“情報化社

会”は、その為に人類が無意識に目指していた事で、当然の

帰結だったのではないだろうか?


 なんていうことをその昔考えたのですが、どうもハズレっ

ぽいですね。まぁ、まだ望みは有りそうですが・・、どうな

んでしょう? やっぱり進化し切る前に、滅びてしまうのか

なぁ・・。ムチャクチャやって・・。

 でもね、ネットやテレビを観ていて、あるいは本を読んだ

りしていて、ロクでもない話を毎日の様に目にしますが、逆

に「アタマはロクな事しないよね。みんなで考え直さなきゃ

いけないんじゃない?」といった話も結構入って来るんです

よね。進化し切れないのだとしても、ある程度の数の人間は

(数千万人ぐらいかな?)「ロクでもないアタマの暴走」に

気付いて、幸せな時代を送ることが出来るのかも知れない

ね。

 
 今日もテレビを観ていて、「自分の価値観を他者に押し付

けたり、投影しちゃいけないよね。それが問題を生むよね」

といった言葉を、違う番組で二人の人から聞いたんです。

(ワイドショーやニュースのお仕着せの発言じゃないです

よ。その人の“苦労してきた末の実感”としての言葉でした)

 思わず、「そうだよねぇ」と頷いていたんですが、「自分

を疑い続けること、ありのままを見ようとする事、それを受

け入れる様努めること」そんな生き方を大事にするのなら

ば、そんな人が増えて行くのならば、人類の将来は少しは明

るいのかも。




0 件のコメント:

コメントを投稿