2018年1月11日木曜日

求めない


 前回、加島祥造さんの『求めない』(小学館)という本の

事にふれて終わりましたが、「求めない」ことが、しあわせ

に生きる秘訣だという内容の本なんですね。

 「求める」ことによって人は苦しむから、『求めない』と

いうわけなんです。



 仏教で、《四苦八苦》と言いますね。

 「生・老・病・死」で四苦。

 さらに「愛別離苦」(愛するものと別れる苦しみ)。

 「怨憎会苦」(憎いものに会う苦しみ)。

 「求不得苦」(求めても得られない苦しみ)。

 「五蘊盛苦」(人の五つの認識作用  色・受・想・行・

  から生まれる苦しみ)、の四つを合わせて、八苦。

 四苦と(さらに四苦で)八苦で、《四苦八苦》というわけ

で、仏教のことを少し知っている人なら、良くご存じの話で

す。


 人の〈苦〉を詳しく分類して、それぞれの〈苦〉に合わせ

た教えを説く為に、《八苦》としたのでしょうが、つまると

ころ〈苦〉というものは、すべて「求不得苦」ですね。

 人は、「生老病死」や「怨憎会苦」や「愛別離苦」や「五

蘊盛苦」に必ず会います。それは、避けることが出来ませ

ん。それなのに、それらに会わないことを「求めて」いま

す。“求めても得られないこと” を「求める」から苦しみま

す。すべては「求不得苦」です。

 だから『求めない』なんですね。



 加島さんはタオイストです。タオの根本は《無為自然》で

すから、それを消化してきた末に、『求めない』という言葉

が湧き出て来たのでしょう。もちろん加島さんは、仏教につ

いての造詣もあったでしょうから、仏教の影響もあると思い

ます。でも、『求めない』という本の中での、加島さんの語

りかけは、おおらかです。そこが、タオイストらしいなと思

います。


 老荘に較べると、仏教はストイックです。

 釈迦の教えを伝えてきた僧たちが、ストイックにしてしま

ったのかも知れませんが、「ちょっとやり過ぎじゃない?」

と思うほど、ストイックです。

 「一切求めるな!」みたいなところがあります。

 それに較べると、老荘はゆるい

 「《無為自然》だから、求めることもあるよ。『求めな

い』ことを求め過ぎちゃいけないよ」という、含みがある。


 ストイックになり過ぎると、「一心不乱に山の頂を目指し

ているうちに、山頂を行き過ぎて、下ってしまっている事に

気付かない」といった事が、起こりがちです。

 仏教は、出家した帰依者たちが、サンガ(僧団)の中で整

理し、まとめられて来た教えなので、極めてストイックなも

になっていったのでしょう。その結果、どうしても世間と

交渉になり易く、突きつめ過ぎるきらいがある。

 それに対して、老荘はただ単に『道徳経』と『荘子』とい

うテキストが、世の中に伝えられて来ただけで、「良い本だ

から、永く読まれてる」といった在り方です。(中国人は

〈道教〉を作っちゃいましたけどね)

 老荘は、世間の中で伝わって来たし、《無為自然》だか

ら、自然とゆるくなるのでしょう。


 「求める」から、苦しむ。


 人は、自ら〈苦〉を求めることはない。

 人が求めるのは、〈楽〉です。

 ところが、〈楽〉を求めることは、挫折を生み出し、それ

が〈苦〉となる。

 だったら〈楽〉を求めない。

 もちろん〈苦〉も求めない。

 〈苦〉が訪れないことも、求めない。

 《無為自然》。あるがままに在る。

 すると、求めていたもの以外の存在が見えてくる・・。

 人が求める〈楽〉とは違う種類の《楽》に気付く・・。


 力を抜いて・・、リラックスして・・、集中しない

で・・、考え過ぎないで・・、求めないで・・・・・・。

 そこに、何が見えて来るのか・・・・。


 「求める」。

 「求めまくる」。

 「求め続ける」現代人・・・。

 それで、何が得られたのか?

 正直に、心からの感想を述べよ。


 「求める」か?

 「求めない」か?

 私は、「求めない」に一票。





 

 

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