2018年1月31日水曜日
『チカチカっと、するだけじゃ』by 沢木興道
相変わらず寒いなぁ~。
まだ、一週間以上はこんな感じだそうだ。今、フリースの
下に、セーターを一枚着込んだところです。
寒くなれば、一枚服を着る。
暑くなれば、一枚服を脱ぐ。
当たり前の事ですね。誰でもそうする。
ところがわたしたちは、何かに囚われると、この “当たり
前” が出来なくなる。“当たり前” で済ませられなくなる。
「お腹がいっぱい!もう、入らない!」
そう言っている女性の前に、美味しそうなケーキが出て来
ると、「もう、入らない!」はずのお腹にケーキが入ってゆ
く。そして、言う。
「食べ過ぎて、苦しい・・」
「100万円預けてもらえば、一年後には200万円にな
りますよ!」
そう持ちかけられて、大金を預ける人がいる。
もちろん、戻って来ない。そんないい話なら、借金をして
でも、本人が自分でやる。見ず知らずの他人に持ちかける理
由が無い。欲にかられて、当たり前の事が分からなくなる。
当たり前の事が、当たり前に進んで行く。それで、当たり
前なのだが、それがつまらないらしい。刺激が欲しいんだ。
甘いもの、三ツ星レストラン、儲け話、不倫のドキドキ、
ブランドのバッグ、バンジージャンプ、お化け屋敷、金メダ
ル、ビジネスの成功、エリートの椅子、権力・・・。
昭和の前半に活躍された曹洞宗のお坊さんで、沢木興道と
いう方がいますが、その方が人生について、こういう風に仰
っています。
『チカチカっと、するだけじゃ』
解説するのも何ですが、「刺激で、ちょっと喜んだり泣い
たりするだけのことで、結局なんにもならん」という話です
ね。
ほんとに身も蓋も無い言い方をされる方ですが、そこが痛
快で大好きです。
《 “特別なこと” が無ければ喜べないというのは
心の病気です 》
病気なんですが、みんなが同じ症状なので、病気と思って
いないんですね。
ユダヤ教やイスラム教の〈割礼〉なんて、外から見たら異
常ですけど、その中では大真面目です。
少年野球や、中高の野球部の練習を見てると、「ウェ~」
とか言いながら守備に就いていますが、あれ、絶対無意味だ
と思います。「今までがそうだから」という理由だけで、わ
けも分からずに「声を出せ!」と、指導する。
イチローが「ウェ~」なんて言いながら、守備をしてます
か? そこにどっぷり浸かってしまうと、変な事が変と分か
らない。その中では、普通になっている。誰も疑わない。
何かしなければ、「やった気」がしないというだけだと思
います。
別にやらなくてもいい事を、手持ち無沙汰だからやってい
るだけだったり、自分達のしている事に箔を付ける為だった
り、ただ「もったい付けてるだけ」のことでしょう。
何か特別なことをしないと、生きた気がしないんですね。
広告なんかでよくある表現に、「高級感のある・・」とい
うのがありますが、〈高級〉って、結局「高級感」のことな
んですね。
〈高級〉という実態があるわけじゃない。
「〈高級〉ということにしたい」という意識だか、暗黙の
申し合わせだかによって「高級と感じる」だけで、ダイヤモ
ンドはやっぱり石ですよ。
“高級な思考” も、「それはそれ」ですよ。
自分たちの中の、何かを満たす為に、都合のいいものを特
別に思いたい。それだけのことであって、「特別なこと」っ
て〈飾り〉に過ぎない。『チカチカっと、するだけ』です
ね。
家に居て、「あ~っ、寒い!」と、ミンクのコートを引っ
張り出す必要は無い。フリースや半纏でも羽織ればいい。
(逆に、「寒い」と言う理由だけで、ミンクのコートを羽織
ってコタツに入ってる人は、たいした人かも知れませんが)
気分良く生きて行くことに、特別なものは必要ない。
“誰かの目” を意識しないでいられれば、生きて行くこと
は大袈裟な事じゃない。
自分の中の “誰かの目” を意識しないでいられるなら、生
きて行くことは気楽なものです。
けれど、わたしたちは自分を特別だと思いたい。特別だと
思われたい。「自分は別だ」と・・・。でも、何と・・?
「別」なら、どんな良い事があるのでしょう?
「別」だとしたって、『チカチカっと、するだけ』のこと
です。
人間は人間。
何も持たずに生まれて来て、何も持てずに死んで行く。
〈生きた証しを残したい〉なんて言う人がいますが、「子
供っぽいことを言いなさんな」と思いますね。
そんな〈証し〉が、いつまで残ると思っているのか?
あと二千年も経てば、釈迦やキリストさえ忘れ去られてい
るかも知れませんし、人類が滅びているかも知れない。
なんにも残りませんよ。
“特別” でもない自分が、いま生きているという事が〈特
別〉なんです。「空前絶後」なんです。
人の約束事ででっち上げた “特別” を、ことさら身に纏お
うとするのは、約束事の外にいる者から見れば滑稽でしかな
い。
必要なものは、必要だ。
不必要なものは、不必要だ。
何が本当に必要で、本当は何が不必要か?
誰も、しみじみと自分自身に訊いてみたりはしない。
生きることを大袈裟にしたのは “誰” だ?
自分の中で、大袈裟に騒ぎ立てるのは “何者” か?
寒くなれば、服を一枚着る。
暑くなれば、服を一枚脱ぐ。
生きて行くことは、その程度のことに過ぎないはずだし、
それで十分にしあわせでいられるはずだったのに・・・。
誰かにそそのかされて、わたしたちは命を浪費する・・。
《 世の中に、寝るより楽はなかりけり
浮世の馬鹿は起きて働く 》
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