昔、少女マンガをよく読んでいました。
山岸涼子や大島弓子、美内すずえらが、第一線で活躍して
いた頃です。
『日出処の天子』『綿の国星』『ガラスの仮面』なんかが
大ヒット作ですが、他にも凄い作家が何人もいた、少女マン
ガの黄金時代です。
萩尾望都、竹宮恵子、内田善美、大和和紀、くらもちふさ
こ、岩舘真理子・・・、それに、亜月裕、魔夜峰央!
キリがないので止めますが、読みまくっていました。そん
な中で、一風変わった作風で好きだったのが、坂田靖子で
す。
メルヘンとコメディを得意としていましたが、シリアスな
作品でも良い物を描いていました。(『青絹の風』という短
編には、《Lavender Blue》の歌詞が、作品のテーマとし
て使われている。本人が、シェルビー・フリントの歌を聴い
て、作品のインスピレーションを得たのだろうと、勝手に思
っています)
その中でも、いちばん好きなのは、やはり代表作である
『バジル氏の優雅な生活』ですね。
長く続けられたシリーズ作ですが、その中には数々の名セ
リフがあって(このあたりのセンスが抜群なんですね)、中
でも深く印象に残ったのは、バジル邸を訪ねてきた悪徳弁護
士に紅茶をぶっかけた、召使いのルイを叱るシーンで言った
一言。バジル氏はこう言います。
「客が礼儀知らずでも、おまえは客に礼儀正しくするん
だ!」
当時二十歳ぐらいだった私は、このセリフに頭を “ガー
ン” と殴られたような気がしました。
このセリフは、言い換えると「相手がバカだからといっ
て、おまえもバカになるんじゃない!」ということだからで
す。
このセリフは、それから私の「座右の銘」の一つになった
のです。(とはいうものの、その後、何度となく「バカ」に
なりましたが・・。でも、この作品の中でも、当のバジルが
後で悪徳弁護士を殴り、お目付け役の執事から自身が説教さ
れてしまいます)
人は、相手やその時の状況につられて、すぐに自分を見失
います。良きにつけ悪しきにつけ、自分を保ち続けることは
とても難しい。
嫌われたり好かれたり、褒められたりバカにされたり、せ
かされたり待たされたり、嫉まれたり羨ましがられたり、他
人の言動に揺さぶられ続ける日々に、自分を失くしてしまい
ます。
この言葉に出会ったことで、一歩引いた立ち位置で人と接
する事が大事だ、という思いを強くしましたし、「自分をし
っかり持たねば」という意識も芽生えたように思います。
ですが、「自分をしっかり持たねば」という思いは、ひと
つ間違えば、自分を守ろうとして “融通が利かない” という
ことになりかねません。実際、二十代の私は、かなり融通の
利かない人間だったと思います。まぁ、若い男が生意気なの
は、仕方がない事ではありますが・・。
融通が利かないが為に、少し袋小路に迷い込んだ様な思い
をした私は、〈世逃げ〉をしました。仕事を辞め、一切働か
ず、三年ほどぶらぶらしてたのです。
旅に出るとか、何か勉強するとかいった事もなく、なんと
なく暮らしていました。
当時 “自分に何の肩書きも無い” という事が、面白かっ
た。
毎日のように公園に出かけては、ベンチに座ってハトやス
ズメに餌をやったり、駅前に座って何時間も人間観察をして
いたり、まるで老人のような生活パターンでしたね。
そうしているうちに、貯金が底を着き、世の中に戻らざる
を得なくなりました。
三年ぶりに世の中に戻った私は、いつの間にか、《誰にで
も事情がある》という物の見方を身に付けていたのです。
人が、バカでも、賢くても、優しくても、エゴイストで
も、ケチでも、気前がよくても、どんな人間であろうとも、
《誰にでも事情がある》。
その時、その人は、そうあらざるを得ない事情があって、
その様に在る。持って生まれたモノと、生い立ちと、いま在
る状況によって、そのように在る。
みんな仕方がなく、そのように今を生きている。
融通が利く様になったというより、「“どうこうしよう”
というのが大間違いだ」、と分かったんですね。
みんな、わけも分からず、止むに止まれず、〈自分〉を守
ろうと必死です。
融通が利かずに、私が自分自身を追い詰めてしまったよう
に、“必死で守ろうとしている〈自分〉” が、自分自身に一
体何をもたらしてくれたか? ほとんどの人は振り返って見
はしません。
一体、“自分というもの” が何をしてくれたか?
大抵は、ゴタゴタを引き起こすだけです。
「相手がバカだからといって、自分もバカになるんじゃな
い!」
それは、“自分を守る” ことでは、ありませんでした。
“自分を守ろうとして、我を忘れている” 人間に出会った
ら、ヘタに関わり合うと、こちらも “我を忘れてしまう” 。
なるだけ放っておく。勝手にさせておく・・。
「バカ」というのは、“我を忘れること” だから。
「バカ」というのは、“人間の質” の事ではなくて、“ある
状態のこと” だから。
“人間の質” というのは、その人その人の持っているもの
であって、良いも悪いもない。
大事にしなければならないのは、「その時、その時どう在
るか?」ということで 、状況に揺さぶられないことでし
た。
バジル氏の様に優雅な生活は出来ないけど、優雅な気持ち
で居られることは増えましたね。
“まわり中が礼儀知らずでも、自分は礼儀正しく居られる”
それが、《貴族》というものでしょうか。
『バジル氏の優雅な生活』ですね。
長く続けられたシリーズ作ですが、その中には数々の名セ
リフがあって(このあたりのセンスが抜群なんですね)、中
でも深く印象に残ったのは、バジル邸を訪ねてきた悪徳弁護
士に紅茶をぶっかけた、召使いのルイを叱るシーンで言った
一言。バジル氏はこう言います。
「客が礼儀知らずでも、おまえは客に礼儀正しくするん
だ!」
当時二十歳ぐらいだった私は、このセリフに頭を “ガー
ン” と殴られたような気がしました。
このセリフは、言い換えると「相手がバカだからといっ
て、おまえもバカになるんじゃない!」ということだからで
す。
このセリフは、それから私の「座右の銘」の一つになった
のです。(とはいうものの、その後、何度となく「バカ」に
なりましたが・・。でも、この作品の中でも、当のバジルが
後で悪徳弁護士を殴り、お目付け役の執事から自身が説教さ
れてしまいます)
人は、相手やその時の状況につられて、すぐに自分を見失
います。良きにつけ悪しきにつけ、自分を保ち続けることは
とても難しい。
嫌われたり好かれたり、褒められたりバカにされたり、せ
かされたり待たされたり、嫉まれたり羨ましがられたり、他
人の言動に揺さぶられ続ける日々に、自分を失くしてしまい
ます。
この言葉に出会ったことで、一歩引いた立ち位置で人と接
する事が大事だ、という思いを強くしましたし、「自分をし
っかり持たねば」という意識も芽生えたように思います。
ですが、「自分をしっかり持たねば」という思いは、ひと
つ間違えば、自分を守ろうとして “融通が利かない” という
ことになりかねません。実際、二十代の私は、かなり融通の
利かない人間だったと思います。まぁ、若い男が生意気なの
は、仕方がない事ではありますが・・。
融通が利かないが為に、少し袋小路に迷い込んだ様な思い
をした私は、〈世逃げ〉をしました。仕事を辞め、一切働か
ず、三年ほどぶらぶらしてたのです。
旅に出るとか、何か勉強するとかいった事もなく、なんと
なく暮らしていました。
当時 “自分に何の肩書きも無い” という事が、面白かっ
た。
毎日のように公園に出かけては、ベンチに座ってハトやス
ズメに餌をやったり、駅前に座って何時間も人間観察をして
いたり、まるで老人のような生活パターンでしたね。
そうしているうちに、貯金が底を着き、世の中に戻らざる
を得なくなりました。
三年ぶりに世の中に戻った私は、いつの間にか、《誰にで
も事情がある》という物の見方を身に付けていたのです。
人が、バカでも、賢くても、優しくても、エゴイストで
も、ケチでも、気前がよくても、どんな人間であろうとも、
《誰にでも事情がある》。
その時、その人は、そうあらざるを得ない事情があって、
その様に在る。持って生まれたモノと、生い立ちと、いま在
る状況によって、そのように在る。
みんな仕方がなく、そのように今を生きている。
融通が利く様になったというより、「“どうこうしよう”
というのが大間違いだ」、と分かったんですね。
みんな、わけも分からず、止むに止まれず、〈自分〉を守
ろうと必死です。
融通が利かずに、私が自分自身を追い詰めてしまったよう
に、“必死で守ろうとしている〈自分〉” が、自分自身に一
体何をもたらしてくれたか? ほとんどの人は振り返って見
はしません。
一体、“自分というもの” が何をしてくれたか?
大抵は、ゴタゴタを引き起こすだけです。
「相手がバカだからといって、自分もバカになるんじゃな
い!」
それは、“自分を守る” ことでは、ありませんでした。
“自分を守ろうとして、我を忘れている” 人間に出会った
ら、ヘタに関わり合うと、こちらも “我を忘れてしまう” 。
なるだけ放っておく。勝手にさせておく・・。
「バカ」というのは、“我を忘れること” だから。
「バカ」というのは、“人間の質” の事ではなくて、“ある
状態のこと” だから。
“人間の質” というのは、その人その人の持っているもの
であって、良いも悪いもない。
大事にしなければならないのは、「その時、その時どう在
るか?」ということで 、状況に揺さぶられないことでし
た。
バジル氏の様に優雅な生活は出来ないけど、優雅な気持ち
で居られることは増えましたね。
“まわり中が礼儀知らずでも、自分は礼儀正しく居られる”
それが、《貴族》というものでしょうか。
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